命ばっかりと水と咳

誰にも分かってもらえなくてもある程度の精神状態は維持することができる。分かりやすい称号なんてなくても、傲慢ささえ持ち合わせていれば一匹狼の如く生きることができる。だが、他人に認められるものを持っていないと、自己肯定感が低下した時「おれはなんも持ってないんだ」という感覚に晒され、途方もない絶望感を味わうことになる。ただ救われたいと喚きながら何者をも否定しどこにも行けないでいる俺と、よく分からなくても、迷いながらでも、間違いでも、どこかへ向かっている人の方が、その在り方のほうが美しいに決まってる。救われたいとだけ喚く僕はきっともうガラクタで。訳もわからないものが頭を渦巻く中、絶望感は最終的に寂しさへと転化して行くのかもしれないな。とふと感じた。咳をしても一人。尾崎放哉の生涯が思い遣られる。気が向けばこれをテーマにしてnoteを書く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?