チェコの花火をナメるな

「こんなもんだろ」と思っていたら、予想を遥かに超えてきた。そんな経験が、あなたにはあるだろうか。

初見のラーメン屋で替え玉の半券を買ったものの、ラーメンがデカすぎて思わず息を呑む。強豪校のアップ風景を覗いて「身長負けてないな」と思ったら、試合直前になって明らかにアップしていた選手達と違う巨体11人が現れる。マッチングアプリのbio欄に「実家が太いです」とだけ書いてあった男と待ち合わせたら、そいつが駅のロータリーにランボルギーニで乗りつけてくる。聞いてねえよと思わずため息を吐いてしまったこと、あるだろうか。

2024年を迎える瞬間、チェコの花火を目撃した僕は思わず言葉を失った。

当時付き合っていた彼女は、スイスに住んでいた。卒業論文の区切りがついた頃合いを見計らい、僕はヨーロッパに足を運ぶことにした。年末はお互い時間が取れるから欧州旅行でも一緒にしようか、卒業旅行も兼ねて。そう決めた僕たちは、ドイツのとある駅で待ち合わせた。ハチ公感覚で異国のプラットフォームを使う自分達に、少なくとも僕はある種の陶酔を覚えていた。

ドイツでクリスマスを共に過ごし、本場のクリスマスマーケットを存分に堪能する。ソーセージをはち切れるほど食べて、ビールを浴びるほど呑む。そんな目的を着実に遂行し、ビアホールで正面に座ったイタリア人2人組とも異様なまでに打ち解けた。僕が話せる唯一のイタリア語は、「僕はフォワードです」。サッカー少年だった頃にサマースクールで教わったのだ。「フォワード」を意味する「アッタカンテ」を連呼した結果、「おー! アッタカンテ!! 乾杯、乾杯!!!」と猛烈な盛り上がりを見せた。

ドイツを後にして向かったのはオーストリア。留学している大学の友達とオーストリアで合流し、皆でオペラを鑑賞した。ドイツではしゃぎすぎた僕は風邪をひいてしまい、オペラの内容が1mmも分からないのにグスグス鼻を啜っていた。隣の観客は「こいつ泣いてんのか?」という怪訝な顔をしていた。

オーストリアを離れ友人にも別れを告げたのち、我々2人はチェコへ向かった。当然ビールもお目当ての1つだったが、それよりも楽しみにしていたのは新年を祝うチェコの花火。ガイドブックか何かで「チェコの新年はすごい!!」と謳われていたのを見て、絶対にこの花火が見たいとプラハのホテルを予約したのだった。

たらふくビールを飲んで、ビールのために作られたとしか思えない得体の知れない美味すぎる肉を食い、ホテルに戻ってきた僕たち。新年まであと20分ほどのタイミングで、街に繰り出した。どこで花火あげるんだろうね。そうワクワクしながら歩いていた時。頭上で爆音が鳴り響いた。頭上、文字通りの頭上。背伸びしたら届くレベルである。その至近距離で、手持ち花火が爆発したのだ。え、敵襲? 謀反? 慌てて横を見ると、彼女も「ど、ど」と言いながらモグラ叩きのようにひょこひょこ動いて周囲を警戒している。すると立て続けに、周囲で爆発音が鳴り響いた。若者達が手持ち花火を投げつけあっているのだ。シンデレラ城を鮮やかに彩るディズニーランドのような花火を想定していた我々は、衝撃を受けた。チェコの花火は、そんな生半可なものでは無かった。血気盛んな若者達が血眼になって、新年を我が手に引き摺り込もうとしていたのだ。そばを啜りながら気長に新たな一年の訪れを待つ、そんな日本の年越しとは全く異なる大晦日が、そこにあった。陶酔もクソもない。身の危険を感じて、すぐさま来た道を小走りで戻った。逃げ帰るようにホテルの部屋に戻ってきた我々は、鄙びたチェコのホテルの窓から街を眺め「おめでとうございます…」と呟きあった。こんな年越しになるなんて、聞いてなかった。

あれから時間が経って、大学を卒業し、彼女とは別れた。未だに突然、あの爆音が頭の中で鳴り響くことがある。頭の中にあった大事な何かとチェコの花火の記憶が、すり替わってしまった気がする。

チェコの花火は、ナメない方が良い。

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