「お前、ハゲるよ。」

マクベスに出てくる魔女のように、幼い頃から色んな人が僕にシンプルな予言を託してきた。

「お前、ハゲるよ。」

マクベスは動く森を目撃するし、僕はハゲるのだ。

幼稚園生の頃、椅子に座ってテレビを見ている祖父の綺麗な頭を撫で回しながら「脳味噌どこにあるの〜??」と質問攻めにした記憶がある。即座に母親が飛んできて「やめなさい!!」と僕を祖父の頭から引き剥がした。自分がいつかハゲるなんてこと、考えもしなかった。

中学生の頃、部活の帰り道に友達と互いにつむじを観察しては「お前、やばい、薄すぎ」と貶し合った。「うるせえよ!」と明るく返事しておきながら内心ヒヤヒヤしていた僕は、家に帰ってすぐ洗面台で手鏡を使ってつむじの大きさを確認した。確かに薄くなっている気がして、怖くて仕方がなかった。

高校生の頃、「ハゲに似合う髪型は坊主しかない」というネット記事を読んで一度坊主にしてみようか真剣に悩んだ。誰かに相談できる訳もなく1人で悩んでいたら、同学年のバスケ部が突如全員坊主にした。先生に強制されたとかでもなく、ノリで坊主にしたらしい。バスケ部の友人達の頭を物珍しそうに撫でながら、僕は内心「やられた…」と地団駄を踏んでいた。今このタイミングで俺が坊主にしたら、バスケ部の真似をしたイタいウケ狙い野郎と思われて失笑を買う。俺は本当に坊主にしたいのに。先を越された悔しい気持ちを伝える相手はおらず、結局坊主にはしなかった。

最近、分け目が薄くなってきたように感じる。美容師さんに「最近髪薄くなってきたんですよ」って言ったら、「え〜、いや、まだ大丈夫だと思いますよ〜?」と返ってきた。明らかに大丈夫じゃない時の答え方である。そっくりそのままマニュアルに掲載されていてもおかしくない。髪を切る時間は美容師さんとのおしゃべりや心地よいマッサージの時間も含めて、僕にとって貴重なリラックスタイムである。ハゲたら、それもできなくなる。抗うことはできない。いや、抗うつもりがないのかもしれない。

多くの人間は、美しく見られたい、カッコ良く見られたいという意識と常に戦っていると思う。少なくとも僕はハワイのパンケーキに乗っかった生クリームくらい自意識がてんこ盛りの人間なので、周りからどう見られているかとても気にしてしまう。ただ、自分に熱中している時にはそんな自意識も消え去ってくれる。ドラムを叩いている時、映画を観ている時、スカッシュをしている時、好きな服を着て街を歩いている時、こうやって何かを書いている時。自分で自分自身に納得している時は、誰に何を思われようと気にならないのである。そのうち髪も目に見えて薄くなってくると思う。その時自分に納得できていれば、別にハゲても何ら気にしなくて済むのだろう。今までずっとどこかで「いつかハゲるのかな…」とビクビクしながら生きてきた節がある。最近それがどうでも良くなってきたのは、それだけ今の自分の生き方に納得できているということなのかも知れない。ハゲるのが怖い人がいたら、そんなのどうでも良くなるくらい人生に熱中するといいのかも知れません。あと、僕の敬愛する先生が「人生何があっても全部飲み会のネタにすればいい」と言っていた。ハゲたら同窓会でネタにして、高校の頃バスケ部の友達が掻っ攫っていった笑いを手中に収めたい。

いつかおじいちゃんになったら、孫に俺の脳味噌の在り処を教えてやろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?