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拝啓、クリープハイプに伝えたい言葉を書き留めてく

2019年12月25日。
彼女から2020年3月22日のクリープハイプ大阪城ホールのライブチケットをもらった。

当時の私にとって、クリープハイプとは画面の中、イヤホンの中、本の中にしか存在しないものだと思っていた。

渡されたチケットを見て、爪先から頭のテッペンまでの血液が、何もかも振り切るスピードで回って、冬のくせに汗がドッと噴き出したのを覚えている。


ここに「あの忌々しい三文字」をぶっ飛ばして大阪城ホール公演2daysを演りきったクリープハイプへ、感謝と想いを書き留める。

2020年の冬、「あの忌々しい三文字」の勢力が急激に拡大し、開催可否が危ぶまれた。

残念ながら延期、中止。
皆さんのことを思ってやむ負えず決断をされたことと思う。

中止が決定した時は呆然とした。
目の前が真っ白になった。

「あぁ、やっぱりクリープハイプは画面の中、イヤホンの中、本の中でしか存在しないんだ」と思った。

しかし、クリープハイプは諦めなかった。
大阪城ホールリベンジを誓ってくれた。

私より辛い想いをしたであろうクリープハイプが誓ってくれるのであれば、運命と呼べるその日が来るのを待つことを誓った。


2022年5月25日、私にとって記念すべき「初めてのクリープハイプ」。

クリープハイプと会う約束をした日から随分と時間が経った。
チケットをくれた彼女は妻になった。

大阪フェスティバルホールへ向かう道すがら、「クリープハイプというバンドは本当に実在するのか」半信半疑で向かった。

「初めてのクリープハイプ」は私の想像を裏切るものだった。


クリープハイプは実在した。


曲に対する想いの熱量は想像を遥かに上回り、MC中は会場全体がシンと静まり耳を傾ける。

私が約10年間聞き続けた、追いかけ続けたバンドは間違いなかったと確信した。

長生きする気もないから吸い始めたタバコを禁煙した。
もっとクリープハイプに会いたい。
私はタバコ代を握りしめて太客倶楽部の門を叩いた。


2022年9月8日、午後から有給を取って大阪野外音楽堂へ向かう。

天気は雨だが、クリープハイプは雨も似合う。
濡らされる前に濡れるだけ、天気は関係ない。

ずぶ濡れのライブ終盤、発表があった。
半年後にツアーを行う。
幕張メッセと大阪城ホールを2daysずつ。

聞いた瞬間、鳥肌が止まらなかった。
雨に濡れたからではなく、武者震いにも似た興奮による鳥肌。

あの「忌々しい三文字」に負けず、リベンジが叶う日が決まった。
こんなにも待ち遠しく、恋焦がれた感情が過去にあっただろうか。

クリープハイプは口ばかりではなかった。
その日の夜は眠れなかった。


2022年3月24日、今日は運命と呼べる日になる。

満を持して臨むつもりが、繁忙期による過労とストレスで扁桃炎になった。

悔しかった。本当に悔しかった。

この日のために繁忙期と向き合っていたのに。
社会、会社、上司、全てに憤慨した。
この憤りをどこにぶつければいいのか。
グレーマンのせいにすれば報われるだろうか。

ライブが始まる。

緊急事態宣言から約3年ぶりの大阪城ホールだからこそ、感情を爆発させたフロントマン。
私が抱えていた憤りは一瞬で消え失せた。
違うけど同じ気持ちなんだと思った。
約束を守るための3年間、クリープハイプは気持ちを溜めて、一気に爆発させたのだと。

ツアータイトル通り、あの「忌々しい三文字」だけでなく、私自身もまるでぶっ飛ばされたかのような感覚。

まだ立ち上がれる。また明日会える。
喜びを噛み締めながら「じゃあね、また24時間後にね」


2023年3月25日、今日も天気は生憎の雨。

雨で桜散るツアー最終日、今日が終わると次に会える約束がない。

今日も会える喜びと、これで終わってしまう寂しさの何とも言えない感覚。
このまま時間が止まってくれればいいのになって思っても、時間は止まってくれるはずもなく、ライブが始まる。

1曲1曲を全力で演奏するクリープハイプの姿を五感に焼き付ける。

ライブ中盤、一緒に生きていきましょうと言ってくれた。
生命保険のパンフレットの謳い文句みたいな言葉で、きっと死んだら地獄だろうし、死ぬことを考えたことはなかったけれど、とても救われた。

次に会う約束がなくても、どんな時も画面の中、イヤホンの中、本の中でクリープハイプが抱きしめて離さないのだと気づいた。
ライブが終わると座り込んでしばらく立ち上がれなかった。

雨は止んでいた。風が吹き抜ける。通り雨だった。


最後に。
大阪城ホール2daysを経て、次に会うクリープハイプはまた初めてみたいにドキドキさせてくれるだろうと確信した。
今度会ったら何をしてくれるだろうか。

フロントマンはエロ本みたいなバンドと言ったが、私は正しくはエロ本ではないと思っている。
私はクリープハイプは表紙はエロ本、中身は随筆みたいなバンドだと思う。

社会に対する憤りを発信するたゆまぬ努力と歌詞を綴るための言葉選び、たまに下ネタが最高に漢らしいバンドだと思う。

クリープハイプの歌が本当に好きだ。
明日の朝、恥ずかしくなるいつものやつだとしても今なら言える。

クリープハイプに感謝し、掠れない、滲まない文字で死ぬまで一生愛していることをここに綴る。

#だからそれはクリープハイプ

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