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甲子園中止について思うこと

甲子園中止

今回のnoteは自分の思ったことについて書く

高校総体に続いて
夏の風物詩 甲子園が中止となった


命には変えられない

確かにそうだ
間違いない

でも、
高校球児の全ての人が甲子園を夢見る

全国制覇を夢見る

日本中の人が甲子園に注目する

満員の甲子園球場でプレーしたい

甲子園でプロのスカウトにアピールしたい

支えてくれた人に自分の成長を見せたい

そんな憧れの舞台が試合をせずに中止が決定されてしまった

Aくんの失投でも
Bくんのエラーでも
Cくんの後逸でもない

Aくんのタイムリーでも
Bくんの好守でも
Cくんのナイスな三塁コーチャーでもない

闘わずして勝負が決してしまった

悔しすぎるだろ

何もできずに終わってしまった

悔しくないわけがない


多分このままだとプロセスが大切だったよねと
プロセスが美化される、
楽しかったと
3年間充実してたねと

でもこの場合
プロセスはプロセスでしかない

甲子園に行くことが夢

それ以外はそのプロセスでしかない


自分だってそう
選手権を目指してた、でも行けなかった

直後は本当に本当に悔しかった

選手権全国に行けないっていう事実を受け入れられなかった、
というより受け入れたくなかった


3年間楽しかったのは間違いない

でも、間違いなく目指してたのは選手権全国だった

自分の高校サッカーは選手権の存在があったから

キツイ走りも、100キロのウエイトを持ち上げるのも、暑い日にした練習も、凍える中でした練習も、遠征で泣いたのも、

全て選手権のためだった

選手権の存在があったから頑張れた

その頑張りの対象を無条件に失った
高校球児たちはそのやるせなさをどこに向ければ良い?

まさに
プロセスにフォーカスしなければ気も保てないような現実に直面している
無条件にだ


命には変えられない

でも夢にも代えられない


私たちが可哀想だと哀れむことに何も意味がない

だから可哀想で終わらせてはいけない


自分が

当事者じゃないから関係ない?

高校生じゃないから関係ない?


確かに自分ができることなんて限られてる

実際、自分に何ができるかわからない

でも、考えることはできる、
それぞれが、みんなが

当事者意識を持って考えることはできるはず


究極の当事者意識が試されている

考えよう、もっと


頑張ろう
乗り越えようみんな。


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