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後輩に向けて

今回の部員日記は法学部政治学科4年の和田宙が務めさせていただきます。


先日の関東秋季リーグ戦、及び入れ替え戦への熱いご声援ありがとうございました。チームは無事関東2部復帰を勝ち取り、チーム目標を果たし引退を迎えることができました。OBOGの方々、日頃チームを応援してくださる方々、選手のご家族の方々には日頃より多大なサポートをいただき、重ねて感謝申し上げます。

今回は引退してから書く部員日記ということで、自分自身の総括としてこの4年間、ソフトテニス部で僕が何を考え、どう過ごしてきたかをありのまま綴らせていただきたいと思います。
今回の部員日記は少々長くなってしまうので、伝えたいことの焦点を絞って「後輩に向けて」という題で書きたいと思っています。
長く柄にもないような文章になってしまうと思いますが、どうか最後までお付き合いいただければ幸いです。長いので、4年間の振り返りは興味ないと思う方はぜひ飛ばしてください。




2019年8月26日の夏のオフ明けのミーティング、僕の体育会での生活が始まる日となった。「紙一重に勝てる選手になりたい。」自己実現シートにはそのようなことを書き、部員全員の前で発表したことを今でも覚えている。「最後の学生生活、続けてきたソフトテニスを納得した形で終えたい。」そう思いながら、家庭の事情もあり同期に遅れること4ヶ月と少し、僕のソフトテニス部での生活が始まった。

1年生。周りのレベルの高さに圧倒され、もちろん1番下手くそからのスタート。部内戦での勝利はもってのほか、練習についていくのがやっとというレベルであった。体育会のような組織に身を置くことも初めてで、係の仕事など様々なことを覚える必要もあり、先輩の手解きを受けながら、どうにか授業や部活の両立を目指していた時期だった。1番下手だった自分は何かを変えないと上手くなれないと思っていた。今のままでは、当時レギュラーとして活躍していた選手の方々には到底及ぶはずもないし、4年間何も得ないまま終えてしまうかもしれない、そう考えていた。
生意気ながらも当時4年生の尾崎佑馬さんや2年生だった浜田さんにアドバイスをいただいたり、時には日が落ちてからも自主練に付き合っていただいた。あの時、自分だけで解決するのではなく先輩方に様々なことを聞きに行くことができ、自分は幸運だったと思っている。1年生の時に先輩方から学んだことが、4年間の基礎となった。


時は早く過ぎ2年生。春休みの練習期間が終わろうかという時にコロナウイルスによる無期限の対面活動停止。次に部員に対面で会えたのは6月の半ばごろだった。ステイホーム期間には自宅でのリモートトレーニングを経験し、思い描いていた生活とは違ったものの2ヶ月半の自宅待機期間を乗り切った。
夏の練習を終え、秋シーズンには入れ替え戦なしの関東リーグ、早慶戦が待っていた。関東リーグには出場することはなかったが、目の前で中川さんの全勝賞を目の当たりにし、有言実行する難しさを知った。1年前の秋のリーグ戦の雪辱を果たした中川さんが一番かっこよく見えた瞬間だった。
早慶戦前日は忘れられない日となった。早慶戦のメンバーを外れることが決まったことを知った僕はその日の試合練習を不貞腐れた態度で臨んでいた。僕にも多少言いたいことがあったのは事実だが、今思えばあまりに未熟者すぎて思い出すのも恥ずかしい。午前中の練習が終わる際に当時ペアを組んでいた2つ上の尾崎巧さんから「なんでそんな態度で練習に臨んでいるんだ」と怒られた。あの温厚で部員から慕われていた巧さんを怒らせてしまい、しかも生意気にも自分が悪いにも関わらず口答えまでしていた有り様。このような僕を叱ってくれる先輩がいることのありがたみを理解できたのは巧さんが卒業してからずっと後のことになる。巧さん、あの時は本当にごめんなさい。
冬の関東選手権では浜田さんを前衛につけながら初戦敗退、敗退の責任は全て僕にあるような最悪の試合をした。試合後諦めモードに入った浜田さんにはなんと言えばわからず、苦い思いをした試合だった。この大会では後輩の北川と同期の小板橋が関東個人ベスト16という成績をあげ、嬉しかったと同時にとても歯痒い思いをしたのも事実だった。


3年生。勝負の1年だった。春休みから僕は調子が良かった。良かったというより、2年間練習で積み上げてきたものが徐々に自分の中で整理されていき、実力が上がっている、成長期であることを春先は感じていた。関東オープンでは東北高校、羽黒高校でレギュラーを張っていたような選手から勝利し、横田さんとのペアリングでは部内戦でもなかなか負けず、自信を深めていった時期だった。そんな自信は非常に脆く陳腐なものであったと気付いたのは7月に開催がずれ込んだ関東春季リーグ戦のことだった。
和田・横田(小板橋)で挑む初のリーグ戦。先輩方には「リーグで勝つのは特別だし、1つ勝つのが大変だよ。」と耳がタコになるまで2年間聞かされ続けていた。とはいえ、リーグ戦前は調子もよく、5番勝負、つまり2-2で回ってきた時のみ団体戦の勝負を決する大事なポジションを任されたこともあり、前日のミーティングでは「2-2で回ってきたら任せてください。」と言った記憶もある。蓋を開けてみれば0勝4敗。何も通用しなかった。2-2で回ってきた城西大学との初戦も期待を裏切る敗北をし、その後も負け続け、ついには開田総監督や中本監督を呆れさせてしまった。僕がやってきたものはまだまだ甘かったんだと痛感させられた。特に、ペアを組んでいた横田さんには僕が試合を壊してしまい、申し訳なさで頭が上がらなかった。
時は過ぎ秋になり、次のリーグ戦では横田さんとやり返してやろうと思っていた矢先、リーグ戦の中止、入れ替え戦なしの代替試合が開催されることが決まり、先輩方の引退は突如訪れる。1番長い時を過ごした先輩方の突然の引退は言葉では形容できないほどの辛い現実だった。当時の4年生の送別試合で横田さんに「俺の分もリーグ勝ってくれ」と言われ、大号泣したことは今でも鮮明に覚えている。横田さんももちろん大号泣していた。先輩方の4年間の集大成を披露する機会を奪われ、こんなにもコロナが憎いと思った時もなかった。横田さん、長い間ペアを組んでくださりありがとうございました。
秋リーグの代替試合では、2個下の岡田とペアを組んで、5試合出場した。結果は0勝5敗。春のリーグ戦と内容面は異なり、ファイナルゲーム負けの試合が3試合、競った試合も多かったが一つも勝てなかった。当時は自分自身勝ちに焦り過ぎて本来伸び伸びテニスをしてほしい1年生の岡田には余計な負担をかけにかけてしまった。技術的に至らない部分は多かったものの、敗因は自分のあらゆる面での至らなさだったように思う。本当に申し訳ない。団体戦で見てもチームは惨敗、1つ上の代がいなくなるとここまで自分たちは無力なのか、次年度の戦いには不安しか見えなかった。

4年生。ラストシーズンが始まった。春休みの練習を終え、ゴールデンウィークに開催される春の関東リーグが自分たちのチームが目標としていた試合だった。その試合を自分たちは戦うことも許されなかった。新型コロナウイルスが部内で蔓延し、リーグ戦は欠場し最下位、3部1位との下入れ替え戦に進むこととなった。せめてコートの上に立ちたかった、という思いを多くの部員が感じていた。自らのラストシーズンの大事なリーグ戦がこのような形になるとは思いもしていなかったが、入れ替え戦に勝利し、なんとか2部残留を決めたいという思いを胸に秘めて入れ替え戦に臨んだ。相手は帝京大学。何度も練習試合をした相手であり、春のリーグ戦の出来が良かったことも理解していた。結果は1-3負け。3部に降格した。帝京と慶應では実力に差があると、どの部員も感じるであろう試合内容だった。4番で敗退が決定した試合に出場していた北川の落胆ぶりと岡田の涙は生涯忘れられないものとなった。その後も早慶戦、六大学、東日本インカレなど様々な試合を経験したが、自分たちの次の大きな目標はインカレだった。春リーグでの雪辱のリベンジとメンバーそれぞれが暑くなる中、それとは対照的に焦る自分がいた。ラストシーズン、なんとか結果を出したいと思っていたが、ある日の試合練習のアップでサーブを打った時に肩に痛みが走った。その痛みで思い通りにテニスができない自分に苛立ち、それに苛立っている自分にも嫌気がさした。部内戦でも対外試合でも全く勝つことはできなかった。当然のようにインカレのメンバーからは外れ、初戦敗退してしまった団体戦に選手として貢献できなかった悔しさだけが残る大会となった。大学部活生活最初で最後のインカレは苦い思い出となった。
チームはインカレを終え、この代最後の大会である秋のリーグ戦に向かった。私たちのチームはリーグ戦では春に降格してしまった3部から2部に再び戻すことを目標にしていた。そのようなリーグ戦2週間前のある日、ちょっとしたことをきっかけに部を巻き込む大騒動が起こった。詳しい内容は割愛するが、自分のチーム内での身の振り方を考えさせられた。引退間近になってようやく部内での分裂が起き、浜田さんが常々言っていた「先輩と後輩を繋ぐような役割」の重要性に気づいた。4年生で唯一役職のない自分だからこそ、代交代直後からそのような後輩の聞き役をしたり、上級生と下級生で認識のズレを生まないような立ち回りをしたりすべきだったと、やっと気づいた。その問題が起きた時に、中牟田には「責任感がない。」と言われたこともあったし、「先輩方には本音を言いづらかった。」と言われたこともあった。引退が近くなってから、チームが終了間近になってから気づいても、根本的にチームが変化するには遅かった。引退間際にあのような問題が起きてしまう組織を最上級生として作ってしまった、という後悔があり、後輩たちにはあの出来事を反面教師として欲しいと思っている。
ただそれでも、その問題に対して一度チーム全員で向き合ったからこそ、秋リーグという目標に対してはチーム一丸となって愚直に邁進できたと感じている。秋リーグ前、自分はテニス人生で一番自分の技術に自信があったし、調子もいいという自覚があった。白子に前乗りした後も調子は良く、「今回のリーグは選手としてチームに勝利を」と強く思い、リーグ戦に臨んだ。結果、チームは勝ちに勝ちを重ね、応援の力も相まってチーム全体が波に乗り優勝、かねてより目標としていた2部昇格のための入れ替え戦の切符を手にした。言葉にならないくらい嬉しかった。最後の専修大学戦、櫻井がシングルスで勝利し、優勝を確定させたあの瞬間、この部活で4年間やり続けて良かった、この組織に入る決断をして心から良かったと思えた。ただ、この大会では個人的な心残りがある。自分はこの大会には出場できなかった。チームは初戦からほとんど星を落とすことなく勝ち続けた。当たり前ではあるが、勝ち続けているチームには勢いがあり、選手を変える必要はなかった。出場を争っていた武藤も素晴らしいプレーを続け、4勝をあげる活躍を見せた。彼が悩みながらああでもないこうでもないとコートに立ち練習を日々続けていたことを知っていたからこそ、彼の活躍は特に嬉しかった。武藤、すごくいいプレーしてたよ。
本音を言ってしまえばこの大会は個人的には他のどの大会よりも悔しかった。後がないから。今まで何もできていなかった分今回だけは…との思いでリーグ戦を迎えた。しかし、現実はそう甘くなかった。結局、プレーヤーの同期でリーグ戦未勝利のまま引退を迎えるのは自分だけだった。出場機会があると思われていたメンバーで出場していなかったのも自分だけだった。横田さんとの約束も結局果たせなかったのも悔いが残った。調子は良かっただけに、それを持ってしてもただ単純に使いたいと思わせるような実力が自分にないことが悔しかった。今だから言えることだが、個人として少しチームのみんなから取り残された気持ちになった。応援やサポートなどで微力ながら貢献できた部分はあったかもしれないが、結局プレーヤーとして勝ちたい、という感情がこの部で自分が競技をする根本の原動力だったと気づいた。ただ、今振り返るとこの経験から学んだこともたくさんあるので、それは文章の後半で後輩に向けて書きたい。
チームはリーグ戦の勢いそのままに入れ替え戦を迎えた。チームは激闘の末、3-1で勝利。入れ替え戦でも出場機会はなかったが、結果的に、「2部に戻して引退する」という自分たちの春リーグ後からの目標を果たし引退を迎えることになった。


4年間を振り返るとたくさんの経験をしたことに改めて気づいた。男子部監督の中本さんは常々「4年間という非常に貴重な時間をソフトテニスに費やしている意味を考えなさい。」とおっしゃる。なぜこの部でソフトテニスという競技をやることを選択したのか。なぜ、練習をするのか。自分のモチベーションは何なのか、4年間探し続けてきて、考え続けてきた。
1人1人異なる考え方のなかで、部に所属する意味も、ソフトテニスを競技としてプレーする意味も、後輩には考え続けて時間を過ごしてほしい。猛暑日の中ヘトヘトになりながらテニスに向き合う日々、何のためのルールなのかわからないような様々な規則、部活の後に部員となんとなく行くご飯、ぜひ後輩たちには全てのことの意味を考えて取り組んでほしい。僕が言えたことではないが、一人一人が誰のためでもなく自分自身のために、「体育会ソフトテニス部」にいる意味を考え続けること、それこそが「強い組織」「実りある4年間」「勝利」のために一番大事なことなんだと、自分なりに思う。



僭越ながら後輩には2点のことを伝えたいと思います。
1点目、腐らずに泥臭く練習し続けてほしい。当たり前のことを言っていてなんだこの先輩は、と思ってくれて構いません。秋のリーグ戦で今までに経験しなかった勝利を経験したメンバーはこの文章を読み飛ばしてください。中本監督の言っていたように、今はまだ揺らぎのある技術や自信を確固たるものにしてほしい。そして、これからの部を引っ張っていく存在になってほしい。先輩として楽しみにしています。
僕が本当に言いたいのは、今試合に出場するかしないか自分は瀬戸際であると感じている人、もしくは自分が試合に出るためには何が足りないのだろうと日々もがいている人。晴貴と加納は特にその立場でモヤモヤした気持ちを持っているかもしれない。ただ、目の前のやるべきことに向けて愚直に行動する、そうすればいつか報われる時が来るはずです。後輩たちには来年、再来年、引退するその日がきた時に、自分のように、選手として「こうしたかった」「こうしておけば」という後悔を残して欲しくないのです。来年、再来年、皆さんの活躍を見に行くのを楽しみにしています。
2点目、引退したからあえて言わせてもらうけど、「自分のことに集中してほしい」。体育会という組織に所属し、部活動をしている中で、この言葉は矛盾しているように感じるかもしれない。ただ、自分の中でこれは矛盾したことではなく、むしろそれが、巡り巡って他人に、組織にいい影響をもたらすことを、4年間の最後の最後に気づきました。
9月中ばのミーティングの時、下級生は櫻井に対して「要求」をしていたと記憶しています。あの話は、もちろん櫻井側にも非があったと思うけど、同時に後輩たちも自分自身を変える努力をするターニングポイントだったと思っています。あの一件を通して、自分自身に集中することの大切さ、強く言ってしまえば「人に変わることを期待するより、まず自分を変える努力をすること」の大切さに気づきました。あのミーティングを通して、どれだけの部員が「人に求めるより先に自分自身を変えよう」と思えたでしょうか?最後の大会2週間前に部内で大きな問題が発生した自分たちの代は決して組織づくりが上手くいったとは言えないので、後輩たちには反面教師にして新チームでは活かしてほしいと願います。


改めて、日頃より弊部を応援してくださる方々、ありがとうございます。来年以降、可愛い後輩たちが2部という舞台で大きく飛躍していることを私自身切に願っています。これからも弊部の応援をよろしくお願いいたします。自分も来年以降、一OBとして陰ながら見守っていきたいです。

長く拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。


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