『遊牛の詩』のための寓話/2006年作 ❝心に慈慧の響きと平安をーNAMOWAMIDABUCHI❞ from "Song & BowzuMan”
『遊牛の詩』のための寓話/2006年作
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『遊牛の詩』のための寓話/2006年作
文・里寿:satokotobuki
むかしむかし、ある日ある時あるところ、幾多もの生きものが、逃げ隠れもなく暮らしていた遠い時代のものがたりです。人智を越えた能力を持つ賢者が言いました。
「今から十日後、夜明けの金星が東の空に消えるとき、彼方の丘のてっぺんにそびえる大樹のもとで待っておる。最初にやってきたものから順番に、年のなまえと定めよう。天地(あめつち)のめぐりは十二のきざみ。おまえたちのなかから十二のなまえをいただこう」
『十二年に一度、自分のなまえで呼ばれる年がくる。その誉れを是が非でもこの手につかみたい』
「なんとも豪勢な話じゃないか」
「一年にいっぺんならいいけどなぁ」
「自信たっぷりだねぇ。うちらにはとても無理だよぉ」
そんな言葉を交わしながら、だれもかれも、心のなかにはひそかな闘志を揺らめかせていました。
そんな生きものたちの中で、いちばん素朴に、そしていちばん強く勝利を願ったものは牛でした。
牛は、自分の歩みがひどく遅いことを知っていました。
遅い。その言葉は牛に向けられた場合に限っては、ほめ言葉だったかもしれません。
だから牛は、誰よりも早く歩きはじめました。勝利を確信している、掛け値なしに速い足を自負するものたちが牽制しあいながらおしゃべりを楽しんでいるときに、牛は歩きはじめたのです。牛が定められた場所に向かいはじめたことに誰も気がつかなかったでしょう。
ねずみをのぞいては。
ねずみはずっと待ちかまえていたのです。小さな体を葉陰にひそめて。
『牛のやつは鈍いけど間抜けじゃない。俺さまのいちばん名乗りのためにはめっぽう頼りになるってもんだ』
謀(はかりごと)は、労せず叶いました。
ゆっくりゆっくりと歩む牛の背に、細い枝先から飛び乗ることなど朝飯前のコンコンチキ! もし牛がなにかを感じたとしても、風に吹かれた木の葉が背中に落ちてきたとしか考えなかったでしょう。
南無三。
とどのつまり、牛はなんにも知らないまま。
ただ、一歩、一歩、また次の一歩と歩き続けました。長い長い道のりは、始まったばかりでした。
ねずみはすでに夢見心地でした。
角と角の間の、ちょっとだけふさふさした毛に身を沈めて、思いのほか疑うこともなく自分の言葉を信じた猫の顔を思い出して笑い転げたいところをがまんすることに苦労していたぐらいです。
『猫は聞かなかったんだ。賢者の言葉を。すばしっこくて目先が利くわりには日がな一日ひなたぼっこが大好きときてる。
俺は言ってやった。今日からちょうど十日と一日(いちんち)だぞ。って。
そしたらあいつ、恩に着るぞねずみ君。なんてぬかしやがった。
ヒヤッハッハッハ・・・・・・・。
おおっとあぶねぇ、あぶねぇ。落ちてしまったらみもふたもねぇ。
だいたい、こんなにちっこい俺さまへの心遣いってもんが足りない競争だよ、まったく。』
ねずみの策略にも、野心にも、牛は、無縁でした。
太陽の熱に火照る体を風にまかせながら、はるかに広がる草原(くさはら)に道を刻みながら歩いて行きました。空にきらめく満天の星ぼしを幾度かは見上げたでしょうか。
やがてかすかに白み始めた東の空に黒い影がぽっつり見えてきました。
ゆるやかな上り坂も、のこりわずかなように思えました。
おしまいは、もうすぐそこ。
力が、新鮮な力が、くたびれきった足に呼び戻されてくる。
《息吹》を感じるようでした。
黒い影が、賢者の待つ大樹であると、はっきりとわかりました。
牛には、あたたかいほほえみをうかべる賢者の顔さえもが見えているような気がしていました。
そのときです。
牛の頭から飛び出したねずみが跳ね飛ぶように駆け出しました。
息もつかずに賢者の足元を走り抜けました。
「いちばん ねずみぃ~!」
賢者の声が丘のてっぺんから四方八方へとどろきわたりました。
我先に、我先にと丘を駆け上がってきていたものたちの足音は雷鳴のごとく激しい地響きとなりました。
そして牛は、静かに賢者の脇に止まりました。
「にばん うしぃ!」
「いちばん、いちばん、おいらがいちばん」
ねずみはぜいぜいと息を弾ませながら踊りあがって喜びました。
三番手を目指す一群の怒声と轟音もねずみを祝福するファンファーレに聞こえたことでしょう。
勝利の喜びは、ねずみのなかのささやかな罪悪感をかき消していました。
この瞬間に未来永劫猫に追い立てまわされる身となったことさえ忘れました。
「おいらぁ、すごいや。いちばんだ」
そんなねずみに牛は言いました。
「ねずみさんはすごいね。すごくはやいね。おめでとう」
牛はしあわせでした。
精一杯歩いてきたので、体いっぱいにしあわせでした。
(了)
『慈音の鐘と歎異抄そして遊牛の詩』
慈音の鐘:北條慈音(ベル)
歎異抄 第三条:三國連太郎(朗読)
遊牛の詩:北條不可思♢法名:釋難思(歌)
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『遊牛の詩』
詩/曲 北條 不可思
《浄土真宗本願寺派:西本願寺・築地本願寺》
僧侶:シンガー・ソングライター
(1996年作)
「歎異抄」第三条を機縁に
― 善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。―
*善人なおもて往生す
ましていわんや悪人はなおさらだ
Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい
+++++++
自由だ平和だ人権だと騒ぐ前に我々は何をしてる
Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい
**毎日何かの命を喰らって生きてるくせに
人間だけが一番エライと講釈、講釈たれる
ねずみに勝利を渡す牛になりたい
ねずみに勝利を渡す牛になりたい
悠々と歩む牛になりたい
悠々と歩む牛になりたい
Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい
+++++++
明日ありと思う心の浅はかな愚かな己の精神よ
Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい
福祉だ教育だ環境だと騒ぐ前に我々は何をしてる
Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい
毎日何かの命を喰らって生きてるくせに
人間だけが一番エライと講釈、講釈たれる
ねずみに勝利を渡す牛になりたい
ねずみに勝利を渡す牛になりたい
悠々と歩む牛になりたい
悠々と歩む牛になりたい
Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい
*善人なおもて往生す
ましていわんや悪人はなおさらだ
Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい
善人なおもて往生す
ましていわんや悪人はなおさらだ
Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい
善人なおもて往生す
ましていわんや悪人はなおさらだ
Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい
善人なおもて往生す
ましていわんや悪人はなおさらだ
Oh My Son : お前さん このメッセ-ジが聞こえるかい
Produced by GURAGYU
(総指揮:愚螺牛)
「初めて学ぶ『歎異抄』講座」第4回(第三条 悪人正機)
FROM
浄土真宗本願寺派公式のYOUTUBE動画配信チャンネル
フォト・ドキュメントリスト
PhotographDocumentaryList
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🔶♦♦♦北條不可思CD作品制作一覧♦♦♦🔶
(Song Collection Album)1994~2022
https://note.com/dabuchi39180428/n/n643fa70cf8bb
🔶
♦FUKASHIHOJO SONGS 「北條不可思詩曲作品集」♦
https://note.com/dabuchi39180428/n/n6637b25cfd8a
Song & BowzuMan in NEW YORK 2004
PhotographCopyright © Louis Ozawa 2004;NEW YORK
http://www.imdb.com/name/nm1559194/
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HIROSHIMA
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-144.html
🔶平安をウクライナに🔶
🔶NAMOWAMIDABUCHI🔶
MASK NO JIDAI,MASK NO ❝pierrot❞
《 マスクの時代、マスクの道化師》
DrawingCopyright © 2021 CASSIE:FUKASHIHOJO
❝Covid19 新型コロナウイルス ・地球規模大流行❞
敬愛する友よ
新型コロナウイルス
地球規模大流行を乗り越えよう
-油断に気を付けて-
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唯信◆2022(令和4)年7月号
謹みて 有縁の皆さまにおかれましてはお念仏ご相続の事と拝察申し上げます。多湿の日々が強引な猛暑に押し出されて梅雨が明けました。予想を越える厳しい夏となっています。くれぐれも御自愛下さいませ。
*
仏智うたがふつみふかし
この心おもひしるならば
くゆるこころをむねとして
仏智の不思議をたのむべし
正像末和讃 誡疑讃:ショウゾウマツワサン カイギサン
【意訳】阿弥陀仏の智慧を疑うことの罪は深い。この心を思い知る者は、悔いる心をよりどころとして、思いはかることのできない阿弥陀仏の智慧を信じるがよい。
(出典『三帖和讃』浄土真宗本願寺派編)
正像末和讃に収めた誡疑讃(かいぎさん)二十三首の結びの一首です。
親鸞聖人さまは、結びのあとがきに「思いはかることのできない阿弥陀仏の本願を疑うことの罪をしらせようと述べ表したのである」(引用前同)と記されています。
私たちは、限りある命を生きる生老病死(しょうろうびょうし/先月号で間違えました。訂正します)真っ只中の身でありながら、無明の闇を破る智慧の光明も持ち得ないのに、思い通りにいかない事を自分以外の何かのせいにしてしまいます。そして、唐突に何かではなく『自分の問題』であることに気づいて自分に失望したり、我が身を嫌悪してしまいます。
やがてはその苦しみや痛みに耐えられず、自分にも、他者にも背を向け、挙げ句に阿弥陀仏の御本願までをも疑ってしまいます。
親鸞さまは、それは罪深いことだとおさとし下さいますが、阿弥陀仏は私たちをけっして捨てられないことを強く強く教え示して下さいます。だからこそ、「(このご恩徳を思い知るならば)くゆるこころをむねとして」仏智をたのめとひとすじに信心を勧めて下さっています。
※( )内は私がお聞かせ頂いた親鸞さまのお言葉です。
自力の心をひるがえして御本願をたのめばよいと、なにか言葉としては安易なものに思われますが、自分自身が御本願をたのんで我が人生を歩いている確信を得ることは決して簡単ではありません。しかしながら、この逡巡(しゅんじゅん)がそのまま仏智によるおおきなお育てとしてはたらいて下さるのです。我が心をみずからのぞき込んで、そこに疑いのタネを見出すことは大変に勇気のいることです。疑う心を知らぬままに、本質を知ろうともせずに過ごしていた自分を顧みることができることそのものに、阿弥陀仏の無明の闇を破る智慧の光明がはたらいてお育てにあずかっているのです。大いなる願力のお育てに恵まれて、他力をたのむ「私」に至らせしめられるのだと親鸞さまは教え示しておられます。
親鸞さまは、人として生まれた者の苦しみや痛みをたくさん経験されたのだろうと思います。そしてご生涯を通して得た醍醐の詩響を御和讃に遺して下さいました。私たちに、仏智の不思議を疑うことは罪深いと教え下さいますが、私たちの罪深さを決して責めません。罪深さに目覚めた心で阿弥陀仏の大いなるはたらきにおまかせすれば、やがてはそのお育てに遇う確かな信心を自覚する心にも出遇えると導いて下さっています。
迷い悩む私の隣で親鸞さまが直接に語りかけて下さるような温かく心励まされる浄土真宗の醍醐の味を、有縁の方々と共々に聞かせていただきたいといよいよ深く願うばかりです。
❝自力無効 NAMOWAMIDABUCHI❞
合掌称佛
住職 北條不可思
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-898.html
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枯れ葉の願い 1981-2022
謹みて
心静かに八万四千といわれるお釈迦様の説教の中から、出世の本懐である「本願他力のみ教え」
浄土の法門、阿弥陀如来様の智慧と慈悲のお心を頂き、私共の一生をよくよく見つめてみれば、もはや、修行と学問を修め、成仏の証を完成できない末法の世にあって、まさに人の命は儚いもので、生涯の始まり、中頃、終わり、すべては夢、幻のようなものであります。 すなわち、人間にして一万歳の寿命を受けたということを知りません。一生は過ぎやすく、未だに誰か百年、二百年も生き長らえた人がありましょうか。死というものは、自分が先か、他人が先か、今日か明日かも分からず、自分より遅れたり、先に死んでゆく人は、木の葉につく雫や露よりもなお多いといいます。しかるに、朝には紅色の顔をしている若者が、もう夕方には死んで白骨になることも、また、事実であります。 まさに、死に至る縁は無量であります。 早くも無常の風が吹いてくれば、ふたつの眼はたちまちに閉じ、ひとつの息は永久に絶えてしまいます。紅色の顔は虚しく変わって、桃の季節のような美しい姿も消えてしまいます。
その時に至って、親、子、夫婦、兄弟姉妹、師匠、弟子、知人、友人など、縁有る人々が集まり嘆き悲しんでも、元に戻ることはありません。これをお釈迦様は「諸行無常」と申されました。
そうそう悲しんでもいられず、野外におくって火葬にふせば、そこには唯、白骨のみ残ります。哀れといっても言い切れないほどの悲しみ、虚しさ、儚さ、さびしさであります。 我等が命の儚さは、老人が先か若人が先か、子供が先か、病の者が先か、健康な者が先か、全く分かりません。その答えは風に舞っているが如くであります。こい願がわくば、誰もがはやく、命の尊厳と真の誇りに目覚め、お釈迦様が説教くださる、大無量寿経の教説《阿弥陀佛の大いなる悲願》を心の拠り処とし、「南無阿弥陀佛 ナマンダブ」と念佛を称えつつ、仏教の教えには無い、占いや、まじない、たたり等といった迷信、邪教、外道に迷うことなく、与えられた今日の日をありのままに生き抜き、名残惜しくとも、この世の縁が尽きて生きる力がなくなり命終わるとき、限りない真実の智慧と慈悲の佛様の心の世界、西方阿弥陀佛国土へ往き生まれるのであります。これを浄土真宗において「往生浄土」と戴きます。
愚生は、罪業深重にして、学浅く、禿(カムロ=ザンバラ髪の意;愚生は現在巻き毛)の穢愚身無戒名字の念佛の僧侶ではありますが、命がけの尊いご縁を賜った皆様へ筆を取り、心を込めてお便りさせて頂きます。
この文章は、混乱混迷の時代に人生を歩む私共へ、善人、悪人、性別、年齢を問わず、学問知識、名誉地位財産の有無を離れ、「阿弥陀如来の本願を信じ、念佛申うさば無条件に佛になる」と示され、在野に生き、『野の聖』と呼ばれ、和国・日本佛教の歴史のなかで異彩を放つ浄土真宗宗祖・親鸞聖人の御本意、『教行信証』『歎異抄』の一節を加え、本願寺第八代蓮如上人の『白骨の御文章』を取意自釈し、法話にかえて書き記させて頂きました。
どうぞ、この佛縁によって、火宅無常の世界を乗り越えさせていただき、いよいよ眞実(マコト)の絆となりますよう心から念じております。
~弥陀の本願に境界線はありません~
南無阿弥陀佛
-1981年親鸞聖人報恩講を機縁に―
浄土真宗本願寺派(本山/京都・西本願寺 東京首都圏・築地本願寺)
眞信山蓮向寺・当麻九坊院・ 住職 北條不可思(法名 釋難思) 2022
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Equality,Freedom and Dignity
~自由と尊厳を平等に~
🎼「影の影」🎼
【Shadow on shadow】
🎼「影の影」🎼
【Shadow on shadow】
https://fukajion.blogspot.com/2020/01/shadow-on-shadow-2007.html
❝Song&BowzuMan❞
【Born】
October 14, 1961
Hiroshima, JAPAN
🔶
浄土真宗本願寺派 僧侶
シンガーソングライター
1961年生まれ:広島県出身
1981年得度
1964年
1981年
🔶枯れ葉の願い-1981年親鸞聖人報恩講を機縁に-🔶
https://note.com/dabuchi39180428/n/ncac4303476a9
"Song & BowzuMan”
since 1981
https://note.com/dabuchi39180428/n/n34599bc4b758
西本願寺
京都
京都蓮如上人500回遠忌メッセージイベント
蓮如フェスタ/西本願寺特設ステージ
🎼『風は炎の如く』🎼
(1998年作品)
蓮如上人500回遠忌記念
《official version》
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現代和讃を謡う吟遊詩人へ
メッセ-ジ フロム 三國 連太郎
(1994年)
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-117.html
~現代和讃を謡う吟遊詩人へ~
メッセ-ジ フロム 三國 連太郎 (1994年)
北條さんの声と歌に
言葉よりも音楽の方が心に浸透する力が大きいことを
実感させられてしまった
これは、現代の和讃ではないか。
つまり
今の言葉で
今の音楽で綴られた仏教讃歌だと感じたのだ。
新しい文化の誕生と言ってもいい。
ところで
文化というと古めかしいものと思われがちだが
現在の古典が誕生した時には
すこぶる新鮮でセンセ-ショナルなものだったのではないか。
それがいつの間にか形骸化して
真意が全然伝わってこないと感じてしまう。
とするなら、北條さんの歌、否、存在そのものが
いまだかつてなかった稀有なものではなかろうか。
きっと<北條不可思>は、常に待たれていた存在だった。
だが
待っている側が待っている対象を明確に出来ないから
結局自ら名乗りを挙げるしかなかったわけだ。
俳優の僕は、演じる役を鏡に人間の
しいては自分の愚かさや可愛さを見つめることを楽しんでいる。
己に忠実であるために降板するのはそのためだ。
北條さんは
そこを徹底したノンフィクションでやりこなす強靭な人でもある。
だから
伝統教団の中にあって
迎合せず異端にならず自分の言葉で語るなんていう
困難極まりないことができるのだ。
だいたいどんな組織でも
体制の中でラクに生きることばかり考えているのだろうから。
北條さんの存在は言葉が言葉として魂を持っていることの
命の通う言葉の存在の証のように思えてならない
私の大好きな渡辺えり子さん(作家、女優)は
40を過ぎても6歳のごとき濾布を持っている。
まるで生まれっぱなしの純粋さで
社会の出来事を濾過させているようだ。
北條さんにも
今の濾布を持ち続けてほしい。
そうやっていかれたら素敵な宗教者になられるという期待がある。
まずは
吟遊詩人のように弾き語り
声をからして頂くのが一番ではなかろうか。
三國 連太郎
🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶
メッセ-ジ フロム 新井 満 1994
小説を書く医師や教師がいる。
絵を描く主婦もいれば、陶芸をする映画監督もいる。
同時に様々な形で自己表現をしようとする芸術衝動を
決しておさえこんではいけない。
なんとなれば自己表現とは生きることに外ならないからである。
僧侶・北條不可思の歌を聴いた。
人生の謎と美と真実に一歩でも近づこうとして疾走する
一人の男の歌を聴いた。
新井 満
🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶
推薦文
わが宗門より仏様のおこころを
歌にのせて一人一人のいのちへ語りかける青年僧侶が登場しました。
仏様の限りない呼び声に老若男女を問わず誰もが
いのちの尊厳に聞き入ることであります。
どうぞ一人でも多くの方へお伝え下さい。
浄土真宗本願寺派
総長 松村了昌
1994年 平成6年4月6日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
このメッセ-ジは1994年6月CD「TEARS OF CLOWN・道化師の涙」
(日本クラウン/パナムレ-ベル)メジャーリリースに際し
ライナーノーツとして
俳優・三國連太郎氏
作家・新井満氏に
推薦文として
浄土真宗本願寺派 総長(当時)松村了昌師に
寄稿して頂きました文章です。
北條不可思
法名:釋難思
南无阿彌陀佛
NAMOAMIDABUTSU
PRESS/MAGAZINE scrap
【音楽表現活動メディア紹介スクラップ】
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-252.html
『Tears of Clown/道化師の涙』
[1994年発表]
日本クラウン/パナム メジャーレーベルリリース
https://note.com/dabuchi39180428/n/n443b3fba88c6?magazine_key=m33cabdb9c5fb
❝歌うお坊さん❞
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-240.html
枯れ葉の願い
-1981年親鸞聖人報恩講を機縁に―
https://note.com/dabuchi39180428/n/ncac4303476a9
PRESS/MAGAZINE scrap
【音楽表現活動メディア紹介スクラップ】
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-252.html
🎼『遊牛の詩』🎼
(1996年作品)
「歎異抄」第三条を機縁に
~善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや~
世界的に知られる
親鸞聖人語録「歎異抄」第三条の言の葉の放つ響きと
重度障害がある、息子・慈音との生活の中から
インスパイアされ生まれ出でた詩曲[遊牛の詩]を書き上げる。
Song&BowzuMan・歌うお坊さん
/北條不可思の代表作の一曲となる。
北條不可思にとっての
「 Like A Rolling Stone;BOB DYLAN」であり
この穢愚身胸いっぱいの恩徳讃歌。
読売新聞 2005年1月1日特集「親と子」
pohto from YOMIURI SHIMBUN official:2005
写真/読売新聞オフィシャルフォト:2005年https://plaza.rakuten.co.jp/fukashihojo/diary/200605020000/
🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶🔶
中国新聞(広島)2002年9月1日
PhotographCopyright © Louis Ozawa 2002 :Hollywood movie actor
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-190.html
広島平和記念(原爆)資料館
メモリアルホール エントランス
『縁絆・野聖メッセージコンサート特別公演』故郷 広島
広島平和記念(原爆)資料館メモリアルホール
♦(2002年)♦
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-144.html
『航海の果てに/ On the white road』
1994年作
《NEW YORK version》
LYRICS&MUSIC WRITTEN BY :FUKASHI HOJO
https://plaza.rakuten.co.jp/fukashihojo/diary/200602090000/
ニューヨーク🔶1999:NEWYORK:2004🔶ニューヨーク
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-220.html
「日本経済新聞」文 化 欄2004年(平成16年)5月10日
国連本部 (ニューヨーク)
United Nations Headquarters Building Entrance Hall2004
(国連本部2004)
🔶ニューヨーク🔶1999:NEWYORK:2004🔶ニューヨーク🔶http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-220.html
🎼MAGINE+GIVE PEACE A CHANCE🎼
&
Blowin’in the Wind /no more auction block
With JION's bell★by Fukashi Hojo# 2022
『イマジン』&『風に吹かれて』そして尊厳の鐘(北條慈音)
IMAGINE&Blowin’in the Wind With JION's bell★by Fukashi Hojo
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-709.html
朝日新聞 京都/2004年2月27日
(龍谷大学大宮学舎/本館講堂:京都 重要文化財)
縁絆コンサート特別公演
(龍谷大学大宮学舎本館講堂)
(2004年&2006年)
http://plaza.rakuten.co.jp/fukashihojo/diary/200606120000/
{Eagle caster}
🎼『曇り硝子の四行詩』🎼
(2021年作品)
-親鸞聖人の御和讃を念ふ-
親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年(2023年)を機縁に。
『曇り硝子の四行詩』
(2021年作)
作詩・作曲 北條不可思
WRITTEN BY: FUKASHI HOJO
馬鹿なMONK(僧侶)の絵空事 語りつくせぬ独り言
言の葉,紡ぐ老詩人【その実(unvoiced)】 空を見つめてうわの空
人の心の奥の底 曇り硝子の四行詩,
詩人が韻を踏む~ だから 音符は宇宙を舞う
夢と悪夢の空遠く 幸い住むと鷽(うそ)が啼く
今も昔も 未来まで 幸い住むと鷽(うそ)が啼く
人の心の奥の底 曇り硝子の四行詩,
詩人が韻(因:真実信心)を踏む~
だから 音符は宇宙を舞う
表拍子と裏拍子 凍(い)てつく瞼の変拍子
朝な夕なの念佛は 閻魔が阿弥陀に還る音
人の心の奥の底 曇り硝子の四行詩,
詩人が韻(信心正因:真実信心)を踏む~
だから 音符は宇宙を舞う(称名報恩)
Produced by GURAGYU
Copyright © 2021 by Special JION Music
Fantasia Records de JION MusicFactory
摂取心光常照護 已能雖破無明闇
貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天
譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇
顕浄土真実教行証文類 顕浄土真実行文類 正信念仏偈より
Documentation Series #10 通算23作目
『群れと源流:LIFE&ORIGIN』収録
https://note.com/dabuchi39180428/n/n643fa70cf8bb?magazine_key=m33cabdb9c5fb
❝音楽講演❞
築地本願寺本堂
2005年
『縁絆コンサート』国立療養所長島愛生園特別公演
♦(2006年)♦
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-12.htmll
Song & BowzuMan”since 1981
&
ENBAN “縁絆・野聖物語”
concert endlesstour since 1996
♦北條不可思CD作品制作一覧♦
(Song Collection Album)1994~2023
https://note.com/dabuchi39180428/n/n643fa70cf8bb
親鸞聖人大谷本廟750回大遠忌記念
献歌コンサート「恩徳讃歌」 (2009年)
会場:西本願寺
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-194.html
親鸞聖人750回大遠忌法要 写真大鑑より
浄土真宗本願寺派 刊
❝Song & BowzuMan❞
♦洋装の法衣と帽子を着けて歌い語る訳♦
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-87.html
枯れ葉の願い
-親鸞聖人報恩講を機縁に―
https://note.com/dabuchi39180428/n/ncac4303476a9
🔶♦♦♦♦☆彡☆★★★★★★★★☆彡☆♦♦♦♦ 🔶
~この穢愚身、唯今ここに帰命尽十方無碍光如来~
❝Song &Bowzu Man❞Profile & Links
浄土真宗本願寺派 僧侶
シンガーソングライター
1961年生まれ:広島県出身
1981年得度
🔶
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♢北條不可思:愚螺牛:プロフィール&リンク集♢
❝Song & Bowzu Man❞Profile & Links
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-34.html
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https://namowamidabuchi.blogspot.com/2021/07/song-owzu-manprofile-links.html
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♦北條不可思CD作品制作一覧♦
(Song Collection Album)1994~2023
https://note.com/dabuchi39180428/n/n643fa70cf8bb
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♦FUKASHIHOJO SONGS 「北條不可思詩曲作品集」♦
https://note.com/dabuchi39180428/n/n6637b25cfd8a
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♦ブログⅡ・愚螺牛雑記: https://plaza.rakuten.co.jp/fukashihojo/
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♦ブログⅠ・愚螺牛雑感記《Blog officiel de Singing monk》♦
http://fukashi.blog50.fc2.com/
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【Activity history/活動略歴;1961~】
#2 ・・・略歴#1は、 此の世に生まれる前なので わからない。
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-240.html
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PRESS/MAGAZINE scrap
【音楽表現活動メディア紹介スクラップ】
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-252.html
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PhotographDocumentaryList
【フォト・ドキュメントリスト】
(Documentation:phonograph)
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-193.html
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♦縁絆・ミュージシャン・フォトグラファー・客演者♦
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-221.html
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〝歌うお坊さん/Song & BowzuMan″
39年(Thank You)をchachattoちゃちゃっと総ざらい
https://note.com/dabuchi39180428/n/n7ebd2d9dd46a?magazine_key=m55718403f26e
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『時が流れて』Odetta M
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-852.html
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Song & BowzuMan memo& notes
https://note.com/dabuchi39180428
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JION:北條慈音
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-229.html
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🔶♦♦♦♦☆彡☆★★★★★★★★☆彡☆♦♦♦♦ 🔶
♦1981年 得度を機縁に♦
親鸞聖人が表現し体現された
非僧非俗の精神と風格を仰ぎ
無位無官、在野の僧侶としての
活動【生活】を基本とし、
1981年(昭和56年)得度を機縁に
あえて
"Song & BowzuMan=歌うお坊さん"
Message Performing Artistとして、
真実の『縁』と『絆』
『命の尊厳』と『心の平安』を
キーワードに国内外で、
国境・人種・文化・信教・・・・をも越えた
メッセージパフォーマンス
(コンサート、音楽講演)と作品制作(CD・BOOK・etc)を中心に
独自の音楽表現活動(ライスワークでもライフワ-クでもない)を展開。
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現代和讃を謡う吟遊詩人へ
メッセ-ジ フロム 三國 連太郎
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-117.html
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フォト・ドキュメントリスト
PhotographDocumentaryList
(Documentation:phonograph)
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-193.html