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💎"Song & BowzuMan”★November 2022#Ⅱ💎 ♦唯信:九坊院より言の葉だより♦ 2022(令和4)年11月号 清風宝樹をふくときは・・・《浄土和讃 讃阿弥陀仏偈和讃より》

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💎"Song & BowzuMan”★November2022#Ⅱ💎


 ♦唯信:九坊院より言の葉だより♦ 2022(令和4)年11月号
 清風宝樹をふくときは・・・《浄土和讃 讃阿弥陀仏偈和讃より》

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唯信◆2022(令和4)年11月号 

唯信◆2022(令和4)年11月号
謹みて 冬の到来を覚悟させる朝晩の冷え込みが続いていますが、有縁の皆様におかれましてはお念仏ご相続の事と拝察申し上げます。
    *
 

清風宝樹をふくときは
いつつの音声いだしつつ
宮商和して自然なり
清浄勲を礼すべし


清風(しょうふう)宝樹(ほうじゅ)をふくときは
いつつの音声(おんじょう)いだしつつ
宮(きゅう)商(しょう)和(わ)して自然(じねん)なり
清浄(しょうじょう)勲(くん)を礼(らい)すべし


【意訳】清らかな風が吹く時に宝の樹々が奏でるさまざまな音色は、みごとに調和している。気高く清らかな音を出してさとりを開かせる清浄勲を礼拝(らいはい)するがよい。 (出典『三帖和讃』浄土真宗本願寺派編)
いつつの音声…宮(きゅう♪ド)、商(しょう♪レ)、角(かく♪ミ)、微(ち♪ソ)、羽(う♪ラ)の5音階。『宮商和して』は、ドとレの不協和音が調和していること。
自然(じねん)…あるがまま
清浄勲(薫とも)…阿弥陀仏のすぐれた徳を示した称号の一つ。阿弥陀仏の建てた浄土は、阿弥陀仏のはたらき(勲功)によって成就されているので、そこに吹く清らかな風に宝樹はさまざまな音を奏で、あたかも清新の薫りが満ち渡るようであることから『勲』を『薫』と表することも。
    *
 なんともうっとりとした心持ちで拝聴させて頂く一首ではないでしょうか。親鸞聖人さまの詩人としての手腕に導かれて浄土へいざなわれるようです。視・聴・嗅・味・触の五感覚を生ずる五官(目・耳・鼻・舌・皮膚)が刺激されるような気がいたします。
 音楽に親しんでいる者としては、五音階を『ヨナ抜き』云々と業界用語を交えたいところですが、余談はさておき、浄土に響く音と満ちる薫りを想像してみて下さい。

(譬喩する本意と意向が、仏性・命:はたらきの発露とも味わえます)


風が樹々の葉を揺らします。宝樹は、その名の通りさまざまな宝で出来ています。浄土とは、金銀、瑠璃など七つの宝で出来ていると説かれています。(是非とも赤本(お経本)を開いて『仏説阿弥陀経』をご拝読下さい)。葉が揺れるとそこここに異なる音が鳴りますが、それぞれの音は見事に調和して聞く者を自然(じねん)のさとりへと導いて下さいます。心地良く調和した音色が響き渡る様は、薫りが一体に染みわたっていくようだと喩えられています。そして、浄土には本来薫りが満ちているから、清らかな風が吹き渡れば、その薫りが一層広く深く香り立つことでしょう。風は説法、光が法を説き、匂いがさとりへと引き入れる水先案内人のようだと示される由縁です。言の葉の『意味』とは不思議なはたらきです。道理を知れば理解も深まりますが、幾億もの言葉でさえ説き尽くせぬものを、心身全体で感じさせて頂くことができるのです。阿弥陀如来さまの大慈悲心は一瞬も休むことなく常にはたらいて下さり、おひとりおひとりの心へ浄土の風のように届いて下さいます。だからこそ、ただただそのご恩徳を讃嘆して礼拝(らいはい)なされるようにと親鸞さまは勧めて下さいます。お内仏さまに新鮮な仏華(ぶっか)を供え、快い薫りの御香をお供えすることは礼拝の作法でありますが、何よりもお浄土へと心を運ぶ道標でもあります。愚生にとりましては日々の暮らしを支えて下さる尊く有り難い日常であります。

合掌称佛
                    住職北條不可思



♦唯信:九坊院より言の葉だより♦  このメッセージレターは、北條不可思が住職をつとめる 浄土真宗本願寺派 眞信山 蓮向寺【相模原市當麻九坊院】 有縁の方々にお送りいたしました通信です。


Song & BowzuMan”since 1981
&
ENBAN “縁絆・野聖物語” concert endlesstour since 1996
♦縁絆・野聖 眞信讃歌 18minutes ―since 2019♦

1964年

世襲の継承の多い浄土真宗の寺院の子弟はよく聞かされる話がある。
「お寺に生まれたのはそれだけ阿弥陀様のご心配」
ものごころついてからは
「どうであってもお佛飯で育てられていることを忘れないように」
因みに愚生の離乳食はお佛飯のお粥さんだったそうだ。
両親は一度も僧侶になること、お寺を継ぐことを強制したことはない。
気がつけば“Song & BowzuMan”歌うお坊さん。

自由なのか、不自由なのか
封建なのか、否か
洗脳なのか、洗心なのか
 
今となってはどうでもよい。
わが人生は、他人の人生ではないのだから。
お恥ずかしながら
他者の気持ちに寄り添える程の余裕と力は・・・ない。
まことにお恥ずかしいかぎり。

我は何者?
何に生き、何に死ぬかは全くの自由だ。

《自由と尊厳》
如何なる状況下であろうとも
好き嫌いを離れ何人であろうとも
あるがままにありのまま
ありのままにあるがまま

“彌陀の本願を縁じ、念佛を絆ず”
~この穢愚身、唯今ここに帰命尽十方無碍光如来~
NAMOWAMIDABUCHI
愚螺牛

北條不可思
法名:釋難思

得度
浄土真宗本願寺派 本山 西本願寺1981年10月15日


💎《SAMDAM-NO-UTA》💎讃佛偈意訳『仏説無量寿経』(2016年収録)~心の轍(2008年作)
basic recording Remix & Remaster 2022

♦1981年 得度を機縁に♦

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親鸞聖人が表現し体現された
非僧非俗の精神と風格を仰ぎ
無位無官、在野の僧侶としての
活動【生活】を基本とし、
1981年(昭和56年)得度を機縁に
あえて
"Song & BowzuMan=歌うお坊さん"
Message Performing Artistとして、
真実の『縁』と『絆』
『命の尊厳』と『心の平安』を
キーワードに国内外で、
国境・人種・文化・信教・・・・をも越えた
メッセージパフォーマンス
(コンサート、音楽講演)と作品制作(CD・BOOK・etc)を中心に
独自の音楽表現活動(ライスワークでもライフワ-クでもない)を展開。
・・・我が業です。
🔶



💎縁絆・野聖 EndlessTour 眞信讃歌 18minutes💎

Song & BowzuMan”since 1981
&
ENBAN “縁絆・野聖物語”

concert endlesstour since 1996

縁絆・野聖 眞信讃歌 18minutes ―since 2019

💎プロフィール&リンク💎


『遊牛の詩』

YUGYU NO UTA

「歎異抄」第三条を機縁に
― 善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。―
詩/曲 北條 不可思
(浄土真宗本願寺派 僧侶:シンガー・ソングライター)


1996年作


{道化の涙は弥陀の慈悲}
南无阿彌陀佛
NAMOWAMIDABUCHI
NAMOAMIDABUTSU
『心に慈慧の響きと平安を』
北條不可思

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