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『ダブドリ Vol.17』インタビュー02 古川孝敏(秋田ノーザンハピネッツ)

2023年5月12日刊行の『ダブドリ Vol.17』(株式会社ダブドリ)より、古川孝敏選手のインタビュー冒頭を無料公開します。

バスケット界において35歳はベテランと言われる。その中で今もなお進化を続ける秋田ノーザンハピネッツの古川孝敏。ただ上手くなりたいと努力を重ねてきた男はベテランの価値観さえも変えてしまいそうだ。一方で、一般社会と同じく若手との感覚の違いに葛藤する姿も。今回は自身の信念とチームへの葛藤など、古川孝敏の本音を聞いた。(取材日:2月28日)

Interview by 宮本將廣/photo by 本永創太

誘ってくれた友達がすごく上手で、その子に負けたくないなって。

宮本 今回は同じ87年世代ということで、僕が一番話を聞いてみたい選手にオファーをさせていただきました。
古川・宮本 ハハハハハ。
宮本 まずはバスケを始めたところから教えてもらえますか?
古川 きっかけは友達に誘われたからですね。小学校の頃に何度か引っ越しをしていて、小学校4年生の時に引っ越したところで仲良くなった友達に誘われて、ミニバスに通い始めました。強いチームではなかったし、練習も月2回。当時って第2、第4土曜が学校休みだったじゃないですか。
宮本 懐かしいですね(笑)。
古川 その土曜が活動日で、練習も中学校でやっていたから、リングが高かった。上手い下手とかではなくて、バスケットを好きな子が男女みんなで楽しくやろうって感じでしたね。試合も出たい人が出るって感じで、徐々にバスケが面白いと思うようになり、そのままハマっていきました。
宮本 そこから長峰中学校に行かれますけど、全中に出てましたよね?
古川 僕が1年生の時に出ましたね。
宮本 それこそ、その全中は秋田の湯沢北中が優勝しました。行った学校がたまたま強かった感じですか?
古川
 そうですね。普通に学区内だっただけです。
宮本 月2回のミニバスから全国大会に出る中学へ行くって大変そうな気がしますけど。
古川 いや、当時は3年生と2年生しか体育館で練習してなかったんですよ。昔はそうだったじゃないですか。1年生は筋トレしたり体育館以外の場所で練習したり。そんな感じでした。
宮本 外を走ってるとかね。
古川 そうそう。だから、3年生の姿を見て、うんぬんみたいな記憶はあまりないですね。もちろん試合は応援してましたけど。
宮本 観客席とか、ベンチの後ろで応援したりしましたよね。じゃあ、何か影響を受けたとかも特になく?
古川 そうですね。ただすげーなって感じ。あの先輩かっこいいなぐらい。
宮本 そういえば、僕らが3年生のときの全中は兵庫開催でしたよね?
古川 そうでしたっけ? 僕らの世代は全中なんてかすりもしなかったんで全然覚えてないです。
宮本 じゃあ、1つ上と古川選手の代はそんなに強くはなかった?
古川 全然です。神戸市でベスト4に行けば良い方でした。2年生の時からメインで試合には出させてもらいましたけど、別に強くはないですね。
宮本 古川選手自身は神戸市の選抜に入ってたんですよね?
古川 入りましたけど、ほぼ補欠みたいな感じで、試合には出てないですね。僕の記憶だと選抜に10数人いて、もうプラス3人。その3人に入っていた感じです。だから本当にそんな大した選手ではなかったんですよ。小学校の時にバスケットが好きになって、誘ってくれた友達がすごく上手で、その子に負けたくないなっていう気持ちで、中学も一緒にバスケ部に入って。そんな小学校、中学校でしたね。

育英に勝てたっていうのは自分にとっては思い出であり、宝物ですね。

宮本 高校は御影工業に行きます。
古川 はい。でも本当は育英に行きたかったんですよ。
宮本 当時の兵庫はずっと育英がウインターカップに出てましたもんね。
古川 そうそう。だから育英に行きたかったけど、これは完全に家庭の事情ですね。一人親家庭だったので私立に行くのは難しくて公立の御影工業に行きました。公立高校だから推薦枠はないので受験して入ったんですけど、「うちでやらないか?」ってお誘いはいただいていたんです。中学生の自分としては必要とされることってなかなかない経験で、声をかけてもらえたことがすごく嬉しかったから、そこで全国に出る強いチームを倒して上に行こうっていう考えに変えて、進学を決めました。
宮本 インターハイ予選も育英が圧倒的な力で県予選を勝ち上がっていた記憶がありますけど、ウインターカップには御影工業が勝って上がってきた。
古川 そうですね。インターハイは兵庫県から2チーム出れたので出場することができたんですけど、結局育英には勝てず……。ウインターカップ予選で勝ちました。ウインターカップの出場は当時指導してくれてた先生にとっても恐らく初めてだったんじゃないかな。
宮本 時代的には育英が絶対的に強いって時代ですもんね。
古川 そうですね。それに僕らの代で御影工業高校が最後だったんですよ。学校が合併して1個下から名前が変わったんです。本当に最後のウインターカップでようやく育英に勝てたっていうのは自分にとっては思い出であり、宝物ですね。
宮本 ウインターカップ予選の育英との試合は何か覚えてます? 育英には日体大に行った八坂くん(八坂啓太)とか、あとは西宮ストークスの松崎賢人選手が1つ下にいましたよね?
古川 その時の試合うんぬんじゃないですけど、夏のインターハイが終わってメインの選手は残ってウインターカップもやるってなってから、心の余裕があったっていう表現が合ってるかわからないですけど、どこと試合をしてもチームとしてすごく自信を持ってプレーができたというか。負ける気がしない感じがありました。
宮本 それはなんでですか?
古川 いやー、わかんないですね。でも、すごく自信を持って戦えていました。今までやってきた試合とは感覚が違った。その記憶はすごくあります。
宮本 正直、高校までは有名選手ではなかった古川選手が成長したなって感じるのは、その高3のラストですか?
古川 あー、そういうのですごく覚えているのは高校3年生の時かな。U18のキャンプがあったじゃないですか、トップエンデバーみたいなやつ。
宮本 はい、ありましたね。
古川 それで近畿エリアのキャンプに呼んでもらったんですよ。自分がそんなところに呼ばれるとは思ってなかったんで、すごく嬉しかったんです。そういうのって大体、実力のある選手が選ばれるじゃないですか。
宮本 そうですね。
古川 メンバーが固定化しているイメージで。それを上回れるような選手が出てくれば変わるでしょうけど。僕はそこに行けて嬉しかったし、やれる限りのことをやろうと思ってがむしゃらにやりました。でも、選ばれている選手たちの練習に対する姿勢とか自分が思っていたのとギャップがあって。
宮本 なるほど。
古川 もちろん当時の僕に技術がないっていうのはあると思いますけど、取り組み方とか姿勢、態度が僕としては納得できない部分があって。当時の彼らがどういう想いをもってやっていたかはわからないですけど、僕にはそんな感じに見えちゃったんですよね。そこから気持ちの変化はあったと思います。
宮本 高校生っぽいというか。一生懸命やるのはかっこわるいみたいな。
古川 だからこそ絶対に負けたくない、負けてたまるかって感じでやっていましたね。

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