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傑ロス 〜大迫さん現役最終レースを終えて〜

2021年8月8日午前9時10分41秒

日本長距離界のトップランナー・大迫傑選手の「現役選手としてのラストレース」が終わった。夏季オリンピック東京大会 男子マラソン6位入賞、2:10.41 これはオリンピック日本人過去最高タイムでのゴールらしい。

大迫傑、30歳

東京都町田市出身。金井中学→佐久長聖高校→早稲田大学→日清食品グループ→Nike Oregon Project→Nike

3000m日本記録7'40"09、5000m日本記録13'08"40、マラソン日本歴代2位2:05.50(当時新記録)、10000m日本学生記録27'38"31、ハーフマラソンジュニア記録(当時)

記録だけでなく、強さもある選手だった。大学1年時の箱根1区の大逃げはファンの脳裏に鮮烈に焼き付いているのではないか



7月29日にTwitterにて東京オリンピックを最後に現役引退することを表明。僕はその報せを受け「ああ、この時が来たか…」となぜか自然と受け入れることが出来た。SNS、本人公式アプリを通じて感じられるこの大会への思い入れが猛烈なものであること、そして近年しばしば口にするようになった「次世代育成への強い想い」から、なんとなく競技者としての最期は近いのかなと思っていたからである。

大迫さんは日本中の長距離ランナーに様々な影響を与え、心を動かしてきた。そして僕も影響を受けたその1人である。佐久長聖高時代に日本人のみの最高タイムで都大路を制した時のアンカーであったことは軽く知っていたが、ちゃんと認識したのは大迫さんが早稲田大学1年の時。僕は当時中学2年生。ほとんど雑誌でしか知らなかったけれど世界ジュニアやユニバーシアード、インカレ、三大駅伝で活躍している姿、また当時から「トラックで世界と戦う」という姿勢がかなり強く、そんな彼に心を掴まれた。当時履いていたミズノのシューズを調べたり、真似してミズノのシューズを履いたり、大迫さんが大学3年の途中からナイキに変わると今度はナイキに興味を持ち出したり、大学の第一志望が早稲田になったり…と、とにかく虜になっていた。

大迫さんは僕にとって憧れのランナーであり、憧れの人物であり、そして、陸上の舞台に戻ろうと思うキッカケになった人。そんな人が引退。心にぽっかりと穴が空いてしまった。マラソンでの勇姿を見届けてから、何か抜けてしまったようですっかり「傑ロス」になっている(笑)


そこで、どうしても何か書き残したいなと思い今回の投稿をしようと思った。(めちゃくちゃ痛いファン)


相当な負けず嫌いとして知られる大迫さん、高校時代はロッカーは1番を使ったりトイレは真ん中を使ったり(表彰台の真ん中=テッペン)、ご飯お風呂となんでも「1番」にこだわったというエピソードが好き。

4年連続でラストスパートに敗れ後塵を拝していた日本選手権で初優勝したときは嬉しかったなあ


中学時代は地元の町田市から離れたクラブチームに通い、高校は陸上留学で強豪・佐久長聖へ。今回の引退宣言にも「退路を断つことでシンプルに競技に向き合える」という彼の思いが見えた。

MGCの後、ケニアに渡って練習した際は「ノイズを排除するため」と言っていたが、大迫さんは「強気に見えて実は物凄く繊細」だった。近しい人物が以前言っていたのを聞いたことがある。それゆえオーバーワーク気味になり、ピートコーチが抑える程であったと。そして、大迫さんの練習量は一緒に練習していた吉田祐也くん(青山学院大・原晋監督は当時、彼の練習の量は物凄いと評していた)が舌を巻くほどであったと。ピートコーチも言っていたが、大迫さんほど他のものを排除して(犠牲にして)競技に打ち込める人はいない。あそこまである種変態的に自分を追い込めるのは常人にはできない。相当、苦しい競技生活であったと思う。東京マラソンで日本新記録を出した時、そして今回のゴール後、大迫さんの安堵というか緊張が解けたような柔らかい表情を見る限り、世界のトップで戦っていくということは相当な覚悟や決意がないと出来ないことなのだなと思う。

今後についてはまだゆっくり考えていくのだろうけれど、キッズ達にもちょこちょこセミナーを開いたりしていたし、Suger Eliteのようなクラブ的なものを立ち上げるのかな。マラソンランナーの社会的地位を上げるためにレースも作りたいと言っていたから何かしらの形でこれからも楽しませてくれそう。

ひとまずは、、ゆっくり休んでください。本当に本当にお疲れ様でした。沢山の夢と希望と感動をありがとうございました。リアルタイムで大迫さんの挑戦と活躍を追いかけられたのは幸せです。これからもずっと憧れの人物です。

#tokyo2020 #suguruosako #大迫傑





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色々なものを大迫さんに染めてる…笑

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なんかカード的なものまで当時作ってた笑

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福岡国際マラソン後のナイキのイベントにて。偶然当たったものだけど、死ぬまでに1度は会いたいと思っていたからよかった。一緒に走れたけど、緊張しすぎて何も声掛けられなかったなあ🤭

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