7月16日(日)犬山・関ケ原へ
犬山へ
今日は市役所の仲間内で犬山城と関ケ原へ行った。
朝、刈谷を出発して1時間程度で犬山へ。昔はもっと時間がかかっただろうに、今は本当に早く到着する。
第2駐車場に停めて、三光稲荷神社へ。
ここは縁結びとして多くの人が訪れていた。犬山は観光PRに成功している街。ハートの絵馬などが有名。写真には収められなかったが、銭洗という珍しいことも行っていた。
犬山城に到着。天守に行くまで渋滞が起き、時間がかかった💦
戦国時代、この川を挟んで奥が斎藤家の所領(美濃国)だった。織田信長は小牧山城に居城を移した後、この城を拠点に斎藤家攻略をしていった。
犬山城の初代城主は平岩親吉。大河ドラマではお笑い芸人はなこの岡部大さんが演じている。その後は、成瀬家が代々城主を務めた。
日本生命の5代社長・弘世現氏は源流を尾張犬山城主の成瀬家であり、もっと遡ると、二条関白藤原良基氏である。
天守を降りたあとは犬山の道を散策。古き建物が残る街並みで、多くの人が訪れていた。
賑やかな雰囲気を感じられ、ちょっとした視察になった。
刈谷のまちにこのような雰囲気のある場所はないな…と思いながら、もしこういう場所を作るならどこが良いか、考えていた。
作るなら、刈谷市駅から刈谷城跡までの道のりだが、古い町並みは残っていないし、JR刈谷駅から名鉄に乗り換える必要がある。さらに、整備に多額の費用がかかってしまう。
現実的ではないな…と思い、もし実現するにしても私が生きている間は難しいかな、と思い、妄想を膨らませて終わった。
関ケ原へ
犬山散策をした後、昼食をとって関ケ原へ。
関ケ原には多くの史跡が残っており、おそらく掘り起こせば何か出てくるだろうな、と思う。
関ケ原史跡記念館(徳川家康最後陣地)、関ケ原決戦地、笹尾山(石田三成本陣)、島左近陣地跡、島津義弘陣後、関ケ原開戦地、桃配山(徳川家康最初陣)の順番で巡った。
昼から訪れるには時間が短く、一日必要だな、と感じた。
そして最後は蕎麦どころ幸山(こうざん)へ。
旅の最後を締めるには十分すぎるくらい美味しかったです😋
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?