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Ⅰ 三河支配の成立 #2 桶狭間の合戦と元康の自立(5)

将軍義輝への献馬

今度早道馬のこと、内々所望のよし申し候ところ、松平蔵人佐(元康)に対し申し遣わされ、馬一疋(嵐鹿毛)すなわち差し上ぐる段、悦喜このことに候。ことさら比類なき働き、目を驚かせ候。尾州織田三介(信長)かたへ所望候といえども、今に到来無く候ところ、かくのごとき儀、別して神妙に候。このよし申し越さるべきこと肝要に候。なお松阿申すべき也。
三月廿八日          花押(足利義輝)
誓願寺泰応

御内書

この御内書は永禄4年(1561)のもの。
この御内書や関連文書によると、この年の初めに将軍義輝は尾張の信長、三河の元康、駿河の氏真らに早道馬を所望したようである。
早道馬とは、飛脚に使用する馬のこと。

元康はこの要請に応え、ただちに「嵐鹿毛」と名付けた馬を贈った。

宛先の誓願寺泰翁とは、当時の京の誓願寺の住職。朝廷や幕府とも関わりが深かった。三河岡崎の出身と言われ、松平氏と京を結ぶ重要な役割を果たしていたとされる。

早道馬は、氏真は6月、信長は12月に献馬。それに対し、元康は3月に対応。自立への意欲を感じる。

元康の素早い献場には、誓願寺住職の働きもあったことを示している。

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