新聞川柳と穿ち〜川柳の入口各論

※本稿では差別表現を含む記述がありますが、差別を意図したものではありません。予めご了承ください。

 新聞川柳が一時期、話題になりました。「穿ち」が痛烈で、為政者が弾圧したような反応が見られましたが、新聞川柳とは何かを考える良い機会になったはずです。
 いつものごとく、川柳の三要件の「穿ち」「軽み」「おかしみ」を考えます。新聞川柳は時事川柳の系統を汲むものです。「穿ち」があるはずなのですが、実作を見る限り、「穿ち」は絶対要件でないように思いました。日本の新聞社は、文化事業に手を出せるくらい安定した収入を得ていたのですが、その内情を見ていくと、定期購読が大きな収入源となっていたようです(今は定期購読者が減っているので、経営規模は落ちています)。新聞というのは、専門家でない限り一紙しか取らないことが多いので、かつては、どの新聞を取るのかは各人のイデオロギーを表明する名刺のようなものでありました。今は各メディアがインターネットのニュースサイトに出稿するので、色々なイデオロギーの新聞記事を横断して読むことができるようになっていますが、昔は、どの新聞を取るかは自分の内心を決める大きな選択でもありました。イデオロギー構造は今でも名残がありますが、全国紙で見ると、大体、以下のような対立軸でした。

(保守)←産経ー読売ー朝日ー毎日→(革新)

 大体こんな感じで、新聞を読むことはそのイデオロギーの位置を支持することと同義であると考えられていました。イデオロギーの位置は社説の立場と同義で、新聞川柳の実際を見ていくと、社説のイデオロギーと接近していることが明らかになります。
 では、話題になった2022年7月16日の朝日川柳の一句を見ていきます。

  国葬って国がお仕舞(しま)いっていうことか  石川進

朝日新聞 2022年7月16日付朝刊

 「穿ち」が痛烈で、政治家に直接的に批判しているようです。今の政権は保守寄りの政権であるので、反対の立場を持つ社説を持つ朝日新聞は「イデオロギーの位置」を大きな理由として、直接的な政権批判をしているように思います。朝日川柳は、政治家などに非難されたのち、選句の基準を見直すとして態度を変化させてはいますが、政治家に非難されるまでは、真っ向から社会批判に向き合っていました。
 比較として、手元にあった2022年7月18日のよみうり時事川柳の一句を見ていきます。

  領袖の採寸開始秋に向け  高橋三郎

読売新聞 2022年7月18日付朝刊

 同日の秀句。この句も「穿ち」を含んでいます。欄外で「権力欲に汚れやすいかも」と領袖に皮肉的な意味があると選者は匂わせますが、何故穿ちがあるのかを考えると、自民党の派閥抗争がまだ生きていることを示しています。同日の川柳には、遭難した元首相を哀悼する句が載っています。一方で、現政権を皮肉る句も選ばれている。要するに、自民党は読売新聞の支持政党ではあるけれども宏池会は支持派閥ではないから、表立って批判はしないが、ちょっと皮肉を言うくらいの距離感を表したいという選者の意向が見え隠れします。
 また、新聞記事の要約とも言える川柳が同日のよみうり時事川柳のコーナー半分を占めていたので、新聞川柳は、新聞記事をわかりやすく読み解くためのコーナーと考えた方がいいでしょう。地方紙の柳壇を読むと、総合誌に載っていそうなオーソドックスな現代川柳が掲載されていたので、「全国紙に限定して」と但し書きをつけた方がいいかもしれませんが……。
 続いて、柳人が時事川柳の名手として称賛する鶴彬について見ていきます。鶴彬は昭和期に活躍した柳人で、政治批判をしたことで獄死した反戦活動家として現代に伝わっています。今の時事川柳と鶴彬の川柳を比較して、時事川柳の特徴を考えていきます。
 まず、心に残る句を抜き出します。

  村中の娘売られて女学校へゆける地主のお嬢さん

鶴彬『鶴彬全川柳』
『詩人』昭和十一(一九三六)年四月号「小作の娘」

  ヨボと辱しめられて怒りこみ上げる朝鮮語となる
(註・……ヨボとは朝鮮人民に対する侮蔑的呼び方。……)

鶴彬『鶴彬全川柳』
『火華』昭和十一(一九三六)年十二月号第二巻第五号「半島の生れ」

 両句とも、見たもの、感じたものをそのまま表現した句になっています。現代と比して、鶴彬の川柳は新聞記事に感情が断絶された情報としてではなく、弾圧された人々が生きた人間として読者に訴えかけます。怒りを含みながらも、どこか優しい言葉のようにも思います。自由律が心のありようを朗々と語っていて、より情緒に強く訴えかけます。
 現代の基準で鶴彬から学ぶべきところは、「事実をありのままに観察すること」「衒いなく感情を表現すること」であると思います。修辞の面で今と比較してもどちらが極めて優れているともないですし、今は、いろいろな発明をすることもできる。鶴彬の川柳が今の川柳より優れていると思ったのは、テーマをまっすぐ見据える心の強さです。技術面では如何様にも工夫できる現代においても、心ばかりは取り繕えない。そのまま真似することはできなくても、テーマから目を背けない勇気は模範にしていいのではないでしょうか。
 時事川柳について言及することは、とどのつまり「穿ち」論となります。「穿ち」は物事の本質に切り込むことであると入門書では説明されています。「本質」に切り込むことは、朝日川柳や鶴彬の川柳に見られる生々しい社会批判が「穿ち」というべきなのでしょうか。
 それを考えるヒントとして、近代以前の「穿ち」の基準について、幕末の幕臣、勝海舟の新聞談話が『氷川清話』に掲載されているので、引用して考察します。

 今の小説家は、何故穿ちが下手だらう。諷刺といふことを殆ど知らない。たまたま(原文踊り字)書けば、真面目で新聞に毒づくゝらゐの事だ。気が短いのか、それともまた、脳味噌が不足なのか。
 馬琴の『八犬伝』も、あれは徳川の末世のことを書いて、つまり不平の気を漏らしたのだ。ちょっとみると、なんの意味もないやうだが、その無さゝうなところが、上手なのサ。……

勝海舟『氷川清話』2000年 講談社学術文庫

 川柳ではなく小説の話なのですが、興味深い記述です。「穿ち」の上手い小説は、虚構の世界を描いているようで現実の社会批判をしていると海舟は述べます。今でいうと、小説や漫画で、例えば中世ファンタジーの舞台設定をしておいて、現代的な社会問題を物語のキャラクターに語らせる手法があります。そうした手法が伝統として積み重なっているようです。
 川柳で考えてみれば、先述のよみうり時事川柳の<領袖の採寸開始秋に向け>の「穿ち」が、江戸時代好みの「穿ち」と言えそうです。何も言っていないようで、裏に皮肉が込められている。それは、権力との適度な距離感が生み出したものですが、裏を返して強調してしまえば、「穿ち」とは批判対象との距離なのかもしれません。近すぎればヨイショになり、遠すぎれば弾圧されると言った具合に。江戸っ子たちは、権力との距離感を探りながら危険な遊びを楽しんでいたのかもしれません。いわば、権力を巻き込んだチキンレースです。そこに「穿ち」と「軽み」と「おかしみ」が共存するヒントがあるのかもしれません。

(引用)
・朝日新聞 2022年7月16日付朝刊
・読売新聞 2022年7月18日付朝刊
・鶴彬『鶴彬全川柳』
https://www.aozora.gr.jp/cards/001674/files/54899_71675.html
・勝海舟『氷川清話』2000年 講談社学術文庫

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