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菊地真・萩原雪歩 twin live「はんげつであえたら」観た


『菊地 真 ・ 萩原 雪歩 twin live “ はんげつであえたら ”』を現地で観てきた。


3月16日(土)・17日(日)、ベイシア文化ホール(群馬県民会館)で菊地真と萩原雪歩のツインライブが行われた。2日間で合計3公演あり、全て現地で観た。

これはアイドルマスターのライブとしてはかなり異例のライブだ。普通のアイマスライブではアイドルを演じる声優が舞台上でパフォーマンスし、観客は「プロデューサー」として応援する。このライブでアイドルはゲーム中の姿のまま舞台に立ち、観客は「観客」としてそれを目撃することになる。異例というか形式だけ見れば普通だ。でもアイマスでは「観客席の全員がプロデューサー」という謎の状況のほうが通常なので、こんな形式はめったにない。

この「アイドルがゲーム中の姿のまま舞台に登場する」という形態は、過去にMRステージという名前で短期間行われていた。かつて記事にもしている。


透明な板に映像を反射させ、舞台上に立っているように演出する手法だ。初音ミクやVTuberのライブでも使われるので、特殊設備がいるとはいえ技術としてはさほど珍しくない。この公演がアイマスに深くのめり込むきっかけになるくらい衝撃的だったのだが、劇場そのものがなくなってしまったことでアイマスの公演形態としては定着しなかった。

今年になって、実質的に近いものが復活を果たしたわけだ。それも、バーチャル演出に特化していない群馬の市民ホールで。


このライブのパフォーマンスは合間のフリートークも含めて収録映像だ。かつてのMRライブのときは合間のフリートークで長時間のアドリブパートを挟むという大胆な試みがなされていたのだけど、今回はおそらく会場設備の都合で実現しなかったのだと思う。その点については事前に知っていて、少し残念に思っていた。

また、今回は収容人数がとても多い。前回のシアターはせいぜい300人くらいしか動員できない小スタジオだったので舞台と客席が近く、密室感と臨場感があった。今回は2000人を動員する都合上、映像されたパネルを遠くから観ることになる。

「菊地真と萩原雪歩のツインライブ」というあまりに貴重で恵まれた機会に喜びつつ、インタラクティブ性と規模の大きさの2点では少し心配してもいた。しかし舞台が始まってすぐ心配は消えてなくなった。


出典:https://www.youtube.com/watch?v=P6gXxRgDmCE

本当に舞台にいる!


初めてふたりの姿が舞台上に見えたとき、私は生身の人間がそこに立っていると本気で勘違いした。私の席は客席の中ほどで、肉眼だと表情までは判別できない程度に遠い。その距離からだと、そこに2人が立っているようにしか見えない。というか立っていた。

MRライブの頃から3Dモデルは一新され、よりリアルな頭身に近づいている。また、実際に舞台上にある照明設備の光が正確に反映されるので物理と仮想が混ざり、遠目に見ると本当に差がわからない。この数年で細やかな工夫がいろいろと積み重ねられたのだと思う。

菊地真はメリハリがあり指先まで力の入ったカラテ・ダンスを、萩原雪歩はふわふわと優しく軽やかなダンスを踊るため、同じ振り付けでも演じ方の解釈がまったく異なっている。くるりと回るたびに揺れるドレスの布の質感や、ステージを踏みしめる足の立体感は遠くからでもよくわかった。基本的に真のほうが先行して動き、雪歩がそれについていくようなスタイルで、2人の性格が動きから伝わってくる。

演出は細部までこだわっている。曲間の暗転は完全な暗転だけでなくシルエットがうっすら見える暗転もあって、位置取りを変えたり裾からでてきたりする姿を視認できるのだ。

生まれて初めて「遠さが嬉しい」と思った。満席のホールと光るペンライト、スモークとレーザー光線と歓声の向こうに、息をするアイドル2人を目撃できたような気分になれたからだ。

ちなみにこのライブは配信版もあるが、印象はまったく異なる。現地では黒い背景をバックに踊る2人を観るのだけど、配信版では聖堂のように豪華なステージの上、凝ったカメラワークの映像が流れる。現地は現地ならではの臨場感の演出に振り切って、配信はMVとして楽しめるように作り直しているわけだ。手間がすごい。


選ばれる楽曲は10年以上前からある古いものばかりで、イントロが流れるたびに周りの客が「うおっ…」「うわ、これ来るか……」とデカい声でため息を漏らしていた。

アイマスはゲーセンの筐体から始まって家庭用ゲーム機に移り、今はソシャゲを主戦場としている。それは「終わり(エンディング)のあるアイマス」から「終わりのないアイマス」への移行の歴史だともいえると思う。今回披露された楽曲のほとんどは「ゲーセン~家庭用」の範囲で構成されていた。いま聴くと少し素朴な、しかし馴染み深い楽曲たちは「"エンディングのあるアイマス"はまだ終わっていない」というメッセージのようにも感じられた。

私が最初にハマったアイマスはPS4の「ステラステージ」という家庭用ゲーム版だ。だからほとんど全ての楽曲にプレイを通じて感じた思い出がある。それでも私はせいぜい6年ちょっとしか触れてきていないので、アーケードの頃からプロデュース活動をしてきた人にとってはアルバムをめくるようなセットリストだったのではと思う。


特に意外で嬉しかったのは『キミ*チャンネル』という楽曲だ。

ステラステージをプレイしていたとき、私はこの曲のコテコテにキュートな雰囲気が気に入って、何度も真に歌わせていた。「この曲は真のためにある曲だ」と思っていた。しかし楽曲としては披露の機会にあまり恵まれなかった(ライブで歌われることのなかった)曲でもある。これを真がソロで披露してくれたときは、私のプロデュースの成果が報われたような、ステラステージの続きがここで行われているような、そんな都合の良い思いに包まれてしまった。私以外の観客もそれぞれの記憶のフタが開いていたと思う。

3公演とも、セットリストの約半分は共通の曲をやる。そのため複数公演を観ると全く同じ演目を3回観ることになるのだけど、それは「アイマス」というゲームの特徴でもある。同じ3Dモデルによる同じダンスが、文脈によって違って見える。それに気づいたとき「なんて贅沢なアイマスをプレイをさせてもらってるんだ」と笑った。

実際、セットリストが入れ替わることで見え方は変わる。「この雪歩はちょっと緊張してるように見える」とか、びんぼうくさいほど前のめりな解釈をするのはアイマス的で楽しい。といっても物足りないわけではなく、2人で合計30種類の曲をこなしているのでかなり多いのだけど。



出典:https://www.youtube.com/watch?v=P6gXxRgDmCE

「はんげつであえたら」は、絵本のストーリーをベースに展開される。冒頭で光の国と闇の国の王のラブストーリーが流れ、楽曲もそれをイメージしたセットリストになっている(とは言うが正味つながりがよくわからなくもある)。

言葉を交わせど決して触れ合えない2人の構図は、このライブ形式で対面するアイドルと観客の関係にも似ている。基本的に「ゆきまこ」カップリングを大胆に押し出す剛腕コンセプトとして読めば間違いないシナリオだと思うけど、ゲーム上のアイドルという嘘に嘘を重ねた存在に人間を見出してしまった物好きな人々を肯定しているみたいでもあった。


終演後には「お見送り会」があった。

規制退場の最後、出口付近に、モニターに映し出された真と雪歩がいる。そして観客たちに「ありがとうございました!」と声をかけてくれるのだ。

しかも、観客が手を振れば振り返してくれるし、持っているグッズに反応して「あ! ころとん(ライブに協力もしてくれた群馬のキャラ)だ!」とか言ってくれる。MRライブにはあってこのライブにはなかった双方向の要素をお見送りという形で実装してくれたのだと思う。


私も、勢いで買ってしまったこのアホすぎるサングラスをかけて手を振った。使うならここしかないと思ったのだ。すると真さんは「あ! サングラス!」と声を張り上げてくれた。それだけのことが無性にうれしいのだからすごい。本当に買ってよかった。


ホールから出ると空には半月が浮かんでいる。そのための日程、そのための群馬だったのかなと思う(群馬は空がデカいため)。半月のときだけ許される逢瀬は終わってしまった。


2005年に生まれたアイマスは波乱万丈な歴史を経て生き延びてきた作品だ。いまは『学園アイドルマスター』という新ブランドが発表され、また違った道を作ろうとしている。「はんげつであえたら」では、終わりのある物語だった頃のアイマスが展望した未来のステージがふと顕現していた。

一瞬の夢のようだったけど、こんな夢なら何度でも見せてほしい。他のメンバーのライブだって当然観たい。765ASの13人がそろい踏みするライブだって観たいし、千早のソロライブみたいなのだって観たい。というか今回は『絶険、あるいは逃げられぬ恋』を観せてもらってない。そういうあれこれを実現するためにも、アイマスはこれからも終わりのない物語であってほしいものだなと思う。



高崎の駿河屋で16歳の菊地真を発見したので購入し帰宅。

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品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)
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