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ブルガリア人のブルガリアのパン

2012年9月に個人的に書いたものです。


3年前、店舗物件をあの場所に借りるか迷っていた僕らは、これから始まる隣の店がブルガリアのパン屋だと知った。ブルガリアのパンってどんなんだろう。やっぱりヨーグルトが入っているんだろうか。それともフランダースの犬に出てくるような固そうな黒いパンだろうか。 パン自体にも興味が沸いたし、ブルガリア人と友達になれるかもと妄想した。そして何より隣国ハンガリーやチェコの絵本を扱うウレシカとしては、これ以上にないロケーションだと思った。鼻息荒く、夢はブルンブルンと膨らみ、店舗未経験の僕らを後押しした。

ところが、 ブルガリアのパン屋は開店に手間取った。店主が業者と喧嘩して、全てを自分で作ると決めたからだ。僕らの建物「中野荘」は築40年で相当ボロい。壁は薄く、配管は古い。電気容量は脆弱で、壁や柱で直角なところはどこにもないほど歪んでる。おまけに、オーブンに必要なガスも引いていない。内装だけでも大変なのに、パンを焼くためのファシリティ全てを素人の彼がたった一人で設置するには、いささかハードルが高すぎるように見えた。 

2009年11月に初めて出会ったとき「年内」と言っていたオープン予定は延びに延びて、夏になり、秋になった。冬になると、彼は僕とほとんど話さないようになった。「いつ開くの?」と聞かれたくなかったようだ。配慮して聞かなかったけど。 

開店予定から1年が経ち、二度目の春がきた。そして311が起こった。いったん海外に避難し、8月に戻ってきた。やめるのかと思ったら、また作り始めた。そして2011年12月にオープン。近所の店には知らさずにひっそりした開店だったけど、2年がかりの念願が叶ったように見えた。

 開店後は順調にお客さんがつきはじめていて、バニッツァと呼ばれるパンは夕方に売り切れる日も少なくなく、雑誌に取り上げられてもいるようだった。 そして、開店から8ヶ月経った今年7月。「リニューアルのため2ヶ月休みます」と張り紙が貼ってあった。

たくさん焼けるようにするのかな?と思っていた矢先、彼らが4年目の店舗契約を更新しないことが昨日わかった。 何があったのかはわからない。でも正直もっと話したかった。ブルガリアの食生活、パンのうんちく、なぜここでパン屋を開こうと思ったのか、なぜ看板が縦書きなのか。一緒にイベントだってしたかった。 最後まで何も告げずに去っていくと思うのだけど、彼らのオープンへの希望とか意思が僕らの開店を後押ししてくれたことは事実だ。結局、仲良くはなれなかったけれど、ズドラベッツがあってよかった。

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