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ドナー (7)

The days 

10時に病院到着。案内された部屋は4人部屋。白いカーテンで遮られている3つのベッドからは、人工的だが湿った入院患者の楽しくはない気配が滲んでいた。看護師が小声で設備の説明をして部屋着着用を促す。カーテンをザッと閉める冷たい音が旅先のドミトリーじゃねーぞという警笛のようで、UNOや黒ひげ危機一発などのおもちゃ類の取り取り出しを怯ませた。

身長体重を測り、ベッド上で軽い採血をして、あとは好きにしていいですと放置される。窓の外を眺め、院内を徘徊し、プロレスの本と海外小説をパラパラやると夜になった。徳大寺有恒のミリオンセラーは、入院時に書き溜めたクルマの原稿だったという話が好きで、自分も何か書こうかなとパソコンを一瞬開いたが、隣の不規則なイビキに誘われ入眠した。

二日目の朝、G-CSFを注射。G-CSFは骨髄内で留まるべき造血細胞を増やし血中に出す薬。これを毎日打って血中の成分を増やし採取する。それを患者の血液に点滴で入れて造血機能の正常化を目指すのが今回の最終目的だ。少量のG-CSFを細い注射器で二の腕に2本打たれたが苦痛も快楽もなく、実感の伴わないドープに拍子抜けした。その後、こっそりバスで抜け出し、近くに勤める友達二人とロールキャベツを食べた。

三日目、G-CSFを注射。直後の血液検査での白血球が8倍という数字も手伝い、急激にダルさが増した。昼過ぎに妻が見舞いに来たが、滞在15分という恐ろしい早さで帰って行った。夕食後、節々の骨が痛くなった。大巨人の手の中で握られてるような強い痛みで、暗闇とイビキの中、これがあと2日も続くのかと不安になった。たまに来るハートアタック的な胸痛は5秒ぐらい呼吸ができなくなり、いったい何のために誰のためにこんなことをしているのだろうと悔しくもなった。

四日目、G-CSFを注射。医師に痛み止めと胃薬を処方してもらってからは、だいぶ楽になったが、なんとなくダル痛いのは消えなかった。骨髄腫で長期入院する同室のじいさんと骨髄腫の再発で入院してきた50代男性と病気の経緯や生い立ちなどを聞く。なんとか希望を掘り起こそうと言葉を捜したが、彼らの目は僕のうすっぺらい励ましや冗談など、ゆっくり飲み込む。

五日目、採取日。朝7時に最後のG-CSFを注射し、10時に透析室に連れて行かれた。メカニカルな血液採取機に両腕の血管が繋がれ、血液を採取される。人体に流れる倍ぐらいの約14リットルの血液を機械に流しこみ、それを遠心分離させバフィーコートと呼ばれる1%程度の血液層を4時間半かけて採取。小さな血液バッグに溜まった247ccの成果物を見て脱力したが、今回の細胞採取にはあまりに多くの病院内外の人が間接的にせよ介在しているため、想像していた達成感や人助け感は全くなかった。逆にそれが嬉しかった。

六日目、採血してあっさり退院。同室の二人と握手をして別れた。いろいろ経験させてもらった造血細胞採取の5泊6日だったけれど、それとは無関係な彼らとの強い別れの握手には、さまざまなものが込められていて胸がいっぱいになった。あー、これを感じるためにオレはドナーになったんだと無機質で寂しい病室で思った。みんな、がんばれ。

終わり



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