配達おせー

たまにツイッターで、配達おせー、なんてつぶやきを見ると、人生の早い段階でいろんな職業を体験しておくというのは、とても重要だなと思います。

 僕の話で恐縮だけど、配達やコンビニ、工場、飲食店、引越し、清掃、牛乳営業などのバイトをやりました。そのほとんど全ては、自分の未来の職業としてではなく、カネを稼ぐためだけの一過性の仕事でした。しかし、それらの仕事をしていなければ、僕はもっと社会に苛立ちを覚える人生だったと思うし、もっと他者に完璧を求める人間になっていたと思っています。 

 25年ぐらい前、まだ日本通運がペリカン便をやっていた頃、新小金井街道の茜屋橋配送センターでバイトしました。 一個配達していくらという歩合制だったけれど、僕はなかなかうまく配達できずに惨めな気持ちになりました。
 配達の達人みたいな人に、どうしたら配達できますか?と聞いたら、積み方だけ、とぶっきらぼうに教えてくれました。そう、全ては積み方次第でした。
住所や交通状況を把握し、一方通行や駐車位置も考慮、回る順番や不在を考え、取り出しやすいように積んでいくのが、たくさん配る肝でした。ただ闇雲に走ればたくさん配れるわけではありません。 でも、これが僕には無理でした。経験が必要な上に、センスがないというか、どこにどう荷物を積んでいけばいいのか焦ってしまい、もういいや出発!みたいになっちゃっていました。

そこへきて、時間指定配達が細かくなりました。午前、午後、夜、ぐらいの時間分けが、午後は2時間刻みという罰ゲームのような無茶振りサービスが導入され、僕は集荷に回されました。 

 昨日、午前指定の荷物が15時に届きました。
いくらなんでも遅すぎるだろと思いましたが、8個もの荷物を大田区のセンターから持ってくるとわかっていたし、配達の人も杉並ルートになったばっかりと話していたので、配達おせーとは、苛立ちませんでした。むしろ実現が難しい配達時間区分を緩やかにすればいいのにと思ってます。

日本は、あまりにいろんなことが完璧なので、高い要求が標準になり、それが少しでも外れると、とてつもなく怒って、ミスできない緊張感ある社会の空気を作り出していると思ってます。
電車が1分遅れて申し訳ありませんなんて車内アナウンスは、世界のどの国でもないと思います。厳しい要求が今日の日本文化や日本製品の良さにもなっているとは思いますが、共存を標榜するいま必要なのは、他者の立場を考え、社会の雰囲気を和らげることだと思ってます。

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