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ドナー (3)

「首からIDをかけてハンドブックを携行し、病院内のタリーズの前でお待ちしております」

コーディネーターと呼ばれるドナー患者の面倒をみる伊藤さん(仮名)と会ったのは、提供意思確認書を投函した10日後だった。

「ドナーのためのハンドブック」でドナーになることの重大さ、命が懸かっている責任を知り怖くなったが、一度手をあげてやらないという選択は、逃げだすと同義のようでこの先ずっと後悔すると思った。確認書に名前を書き、印鑑を強く押して、ポストにぶち込んだ。

その後、コーディネータによる説明と一般血液検査のため、武蔵野赤十字病院に来てほしいという封書が届き、電話がきた。連絡は郵便か電話かFAX。メールは使えない。組織の古さか過去の諸問題かはわからないが、時代錯誤な連絡手段が緊張感を助長した。

武蔵境の駅を降り、神社で軽くお参りし、関東高校(現・聖徳学園)の横を歩いた。関東高校は兄の通っていた高校で、乗っていたバイクやボブマーリー、アイパー、サーフィン、パチスロ三昧な彼の高校時代を思い出した。上手な絵を生かして美術系の高校とかに行っていれば、面白かったろうなと思いながら武蔵野赤十字病院に着いた。武蔵野赤十字病院は僕が生まれた病院で数年前に知人が入院して以来だ。妊娠中の母が、第二子の余裕でワインとタバコを普段通りに嗜んだのが原因のためか、予定の一ヶ月前早産で2000グラムに満たない未熟児で生まれた。そんな虚弱スタートから45年。大病なしで元気に過ごせているのはなんと幸運なことだろう。

伊藤さんに1時間近く説明を受け、内科医師の問診と微量の血液採取がされた。20年前には治らなかった病気も今では投薬だけで治るというものもいくつかあるという。元気は奇跡ではなくなってる。

白血球のHLAという数万通りある型が患者と一致した僕のようなドナー登録者は、通常3-5名いて、最大で10名の候補者になるという。そこから、2-6週間後に最終候補者が選定される。競争率高いじゃんと思ったが、病院を出て青空を見上げたとき、オレ選ばれるかも、とぼんやり思った。

つづく

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