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不自然な笑顔


26歳のときに赤坂にあったITベンチャー的な会社に勤めたことがある。
事業スタートアップの営業職数人枠になぜか合格して、何の成果も残せずに半年で辞めた会社だが、同時に採用されたクリスさんというキラキラした経歴の香港系の先輩がいて、彼に人生の指針になるような金言をいくつかもらった。それがあの会社時代の唯一の宝物で、彼からいただいた言葉は今も色褪せることなく自分の深いところに輝いてる。
 
働き始めて数ヶ月のある日、赤坂通りのなか卯で「先行きを暗く考えがちでとにかく焦って答えを早く求めてしまう」というようなことをクリスさんに相談したら、「それは人間として当然のことだけど、だいちゃんは笑ってればいいよ。笑っていればずっといいことが起こります」と大量の紅生姜を入れた牛丼を目の前に進言してくれた。
 
それまでの自分は、面白いことをやってやろうと常に狙ってるようなやつだったけど今ほど笑うことは少なかった。笑う習慣がなく、笑うのが恥ずかしかった。
当時の写真をいま見ても、笑顔は少なく稀な笑い顔は不自然に引き攣っていて全てを葬り去りたくなるショットばかり。
 
それから笑う練習を少しづつはじめて、なるべく笑うようにした。鏡でニッとしてから家を出発して、誰かに何かを言う時、とくにネガティブなことを言う時もスマイルを心掛けた。
最初は打算的な笑いだったと思うけど、続けていくと不思議と物事が楽しくなり、写真の自分も以前よりは自然になった。
あれぐらいから自分の人生は好転しはじめたと感じていて、あのまま笑わず過ごしていたらどんだけ暗かったんだろうと恐ろしくなる。
 
先日、悩める26歳の青年と初めて食事をした。マスク常用の彼の顔はほぼ初めて見るぐらいの仲だったけど、焼肉を前にした彼の笑顔は不自然だった。
せっかく入社できたエリート会社がリモートメインな職場で、人に会う機会が少なくて、さらに人が怖くなってると言っていた。
「人間なんて思っているよりもたいしたことないから大丈夫だよ」とぎこちないアドバイスをしたけど、かつてクリスさんが言ってくれた「笑ってさえいればいいよ」とだけ言えばよかったと帰りの電車で思った。

そしてそれは、今の自分にもこれからの自分にも必要なことだ。
笑おう。

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