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みせてくださいー

金曜日、18時30分。

現在の売り上げは330円。開店直後に150円のポストカードが2枚売れた。オープン12時からの7時間で得たものは100円玉3枚と10円玉3枚。世界から存在を忘れられたかのような哀れな金額は、どれだけの胆力を持っていたとしても己の存在価値を疑わざるを得ない。
不景気なのか、本はオワコンなのか、レジがおじさんという絵面がキモすぎるのか。もう永遠に1000円札を見ることはないかもしれない。重い気持ちでパソコンを開き、「中年 男 バイト 杉並区」とググる。俺もついにバイトか。50歳でできるバイトはあるのだろうか。配達か交通整理か清掃か。モスバーガーが中高年を雇うというニュースを思い出した。
テリヤキチキンバーガー。食べたい。レタスとマヨネーズとテリヤキチキンのジューシーな記憶で唾を飲み込む。でも330円では買えない。

ガチャっとドアが開いた。
お客さんだ。世界に存在を拒否された6時間半の辛い記憶を一瞬で消し去る音だ。
「みせてくださいー」
年配女性の明るい声。

見せてくださいおばちゃんだ。一瞬点灯した希望の光が暗闇に消えた。
店歴15年。見せてくださいおばちゃんは95.2パーセントの確率で買わない。複数人だと買わない確率は98パーセントに上昇する。今回は3人だ。
18時半、3人、暑い日。絶望的だ。近所のレストランの予約が19時で、それまで涼みに入店したくさい。
店が、時間つぶし臭で覆われた。

かつては賑わったこともあった。海での出会いを描いた絵本の新刊イベントで1980円の本が飛ぶように売れた。寝ている犬のポストカードセットが8000セット売れたこともあった。整理券を配ったこともあった。楽しかったあの日々を思い出す。レジを叩く指が鍵盤を奏でるかのように滑らかに動き、美しいレジの音が店内中に響き渡っていた。あの愛おしい音色の中で、テリヤキチキンバーガーを食べてみたい。バンズをギュッとつかんで大きく口を開けて頬張りたい。でも330円では買えない。

「クリアファイルって使う?」
みせてくださいAがみせてくださいBに話しかけた。

「あんまり使わないわ。これ、絵が描いてあるから中身見えなくない?」
「見えないからいいのよー。ダンナに見せたくないもの隠せるし」
「見せたくないの?」
「ホテルランチの領収書とか。さっき話したレストランのとか。そのお店、山形で採れた野菜をジェラートに使ってて、そこでしかそのジェラート食べれないのよ」
「さすが、ジェラート先生」

商品物色からの脱線コース。旦那の悪口も見え隠れしている。旦那の悪口は危険だ。在店時間が1.4倍長くなる。ここに甘味の話が加わると絶望的な長期戦になる。自分ができるのは念仏を唱えて退店を祈ることしかない。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

「あーこの本探してたー!」みせてくださいCが突然の喜びの声。
持っているのは、みすず書房の本だ!ミスズの本は良本が多く、なにより高い!主に3000円クラスの価格帯だ!夢にまで見たテリヤキチンバーガーの輪郭がはっきり浮かび上がってきた。オニポテセットも買える!明日も明後日もテチバが買える!TCB、TCB!

でも慌てるな!レジは最後まで打って初めて入金だ。最後まで気を緩めるな!
本の値段を見ないでレジに直行するのが理想だが、あのテンションは値段関係なしに、買う!絶対に買う!
AとBが「図書館で借りなよ」と言わないよう念仏に一段と力がはいる。
パソコンをそっと閉じ、指をほぐしてレジを叩く準備をする。俺の指たちが、鍵盤の打ち方を忘れるはずはない。

Cが本をパラパラとめくったあと、背面の値段をチラッと見た。
エアコンで冷えた首筋に冷たい汗が流れた。


(フィクションです)
(今日も近くから遠くから、ありがとうございます!)

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