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悟るためのメモ
お釈迦様はこの娑婆世界は一切皆苦であると説かれたものじゃ。
それは悲観主義ではなく、この世から解脱する法があるからこそ、そのように説いたのじゃ。
例えば火事になっている家から人々を自ら脱出させるために、その家は燃えていると告げるようなものじゃ。
全ての苦から逃れられる道は、確実に存在するのじゃ。
それが悟りの道なのじゃ。
他の娑婆世界の全ては苦をもたらすだけなのじゃ。
それを得ようとするのは、ただ苦や現実からの逃避に過ぎないのじゃ。
金や権力や名声や理想の異性やさまざまなコレクション等、人が執着するものごとは、ただ一時苦を忘れさせるだけなのじゃ。
それらは老病死の苦には何の効果もないただの時間潰しの遊戯であり、おもちゃであると言えるのじゃ。
死という締め切り時間の前に、全て失われてしまう夢幻なのじゃ。
死に対抗できる唯一の手段が悟りへの道なのじゃ。
悟りの道がある限り、どのような苦が今あろうとも、抜け出す道はあるといえるのじゃ。
他の手段では達成できない不死の境地を得ることができるからなのじゃ。
死の苦でさえ滅することができるのが、悟りの道なのじゃ。
それゆうに悟りを得ることこそ人の最高の目標と言えるのじゃ。
そしてその悟りへの道は、自分一人でいつでも実践できるものじゃ。
ただひたすらに自分の心を見つめ、自分を造る心の働きを観察できれば、悟りの門は開かれるのじゃ。
自分を観て無我になり、無我を見ているものさえも観察して滅すれば大悟徹底の境地なのじゃ。
それには何の道具も、金銭も不要なのじゃ。
自分一人でどこまでも追求していけば、誰にでも出来るのじゃ。
明日死ぬ身であっても、死の床に倒れていても、未だ悟りへの道は開かれているのじゃ。
例え世の中全てに見捨てられ、世間の希望が全て絶たれていても人の最高目標である悟りの道はいつでも開かれているのじゃ。
そうであるからどれほどの苦があろとう、どれほどの恥辱があろうと、生きて悟りを求めるがよいのじゃ。
真の人生の最高目標である悟りを達成するまで、どこまでも生きて精進するがよいのじゃ。
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