見出し画像

希望のハコ 最愛の娘になった最愛の君へ 第十三話

 季節も時間も今と同じ。
 違うのは二人がまだ本当に子どもで、本当に純粋で、お互いのことをまだ意識してなかったことだ。
 それは二人が中学三年生なったばかりの頃、カギは既に十五になり、ハコももう少しで十五歳になる……そんな時だった。
 その日、ハコの祖母は仕事の関係で帰宅が遅くなっていた。
 そんな時、カギはいつもハコの家に遅くまで一緒にいた。
 別にカギがおばあさんが帰ってくるまで一緒にいるよ、と言った訳でも、ハコが一緒にいて欲しいと言った訳でもない。
 祖母の帰りが遅い日は二人は一緒に留守番をする。
 いつの間にかそれが二人のルールとなっていた。
 その日は、今日みたいに雷が鳴り響き、雨が激しく降り注いでいた。
「すげえな」
 カギは、縁側の窓から目を輝かせて空を走る雷を見ていた。
「竜が暴れてるみてえだ」
 少し前に見たRPGゲームの3D映像みたいな雷の動きにカギは心をときめかせていた。
 一方のハコは……。
「カギ……危ないよぉ」
 座敷の隅でタオルケットに包まってカマクラのようになりながら震える目を向けてカギを呼ぶ。
「雷様におへそ取られちゃうよぉ」
 昭和かっ!
 一年前に父親の元に旅立った彼女の親友がいれば確実に突っ込んだであろう台詞を胸中で呟き、カギは口元を緩める。
「ハコは、怖がりだな」
「平然としてるカギがおかしいんだよ!」
 ハコは、目に涙を浮かべて叫び、タオルケットから右手を伸ばす。
「こっち来てよ。一人にしないで」
 ハコの言葉通りの涙ながらの訴えにカギは苦笑して側によると、その手を握る。
 その時の二人に取って手を握る行為に特に大きな意味はなかった。
 幼馴染の二人にとってその行為は日常的な当たり前のものだった。
 カギは、ハコの手を握ったまま隣に座る。
 ハコの表情が少しだけ和らぐ。
 刹那。
 稲光が縁側の窓を埋め尽くし、竜の怒号のような雷鳴が響き渡る。
 さすがのカギもその光と音に驚くがそれ以上に……。
「いやああああああああ!」
 耳をつんざくような叫び声に心臓が破裂しそうになった。
「おいっハコ……」
 カギは、流石に文句を言いかける、と。
 ハコが両手を伸ばし、カギに抱きついてきたのだ。
 カギの心臓が大きく高鳴る。
 ハコと手を握るなんて日常的に茶飯事だ。
 小学生の頃はプールや公園で何かの弾みに抱きつかれたことだってある。
 しかし、中学生になってからは流石になかった。
 久々に感じたハコの身体はとても温かく……柔らかかった。
 カギの鼓動が激しくなり、身体に熱が膨れ上がるのを感じる。
 ハコは、自分がカギに抱きついていることにも気づいていないのか?猫のように身を丸めて震わせる。
 再び雷光が走り、雷鳴が轟く。
 光と音に恐れ慄くハコはさらにカギの中に身を潜り込ませる。
 カギの鼓動が雷鳴より激しく鳴る。
 刹那。
 電灯が消える。
 家中の機械の灯りが死んだように消え、音が失せ、ちゃぶ台の上の二人のスマホだけが光を照らす。
 どこかに雷が落ちて停電したのだ。
 ハコは、カギの身体中で狂乱し、悲鳴すら上げられない。
「落ち着け……ハコ」
 カギは、暴れるハコを宥めながらちゃぶ台の上のスマホを取る。
 せめて灯りだけでもと、ライトを照らす。
 ハコの顔が映る。
 涙に顔を濡らし、怯えるハコ。
 小さな灯りが映し出すハコの顔はいつも見ている明るいハコと違い、艶やかで……美しかった。
 まるで自分の知らない大人の女性になったように。
 カギは、身体が熱くなるのを感じる。
 そしてそれはハコも一緒であった。
 小さな灯りが映し出すカギ。
 それはやんちゃでイタズラ好きの腕白坊主のカギではなく、逞しい身体をした……大人の男性のようであった。
 今になってハコはカギの温もりと筋肉の固さを意識し、鼓動が高鳴り、熱くなる。
 しかし、カギも……ハコも……離れることはなかった。
 互いの温もりを感じ、互いの顔を見る。
 そして気がついたら二人の唇は触れていた。
 生々しく、そして甘い感触が脳を刺激する。
 離れたくない。
 離したくない。
 申し合わせた訳でもないのに二人は唇を通して同じ思いを感じていた。
 しかし、その思いは叶わない。
 電灯が付く。
 死んでいた機械達が蘇る。
 二人は、目が覚めたように唇を離す。
 カギは、鋭い目を開き、ハコは唇に触れ、目を反らす。
 抱きしめあっていた身体をそっと離し、背中を向き合わせる。
 そのまま二人はハコの祖母が帰ってくるまでの間、ずっと無言のままだった。
 翌日、二人は何もなかったように登校し、いつものように話しをする。
 しかし、どちらからもキスの話しはしなかった。
 そして、それ以降、二人は手を握る会うこともお互いの家に行くこともなくなった。
 しかし、カギは思ってしまう。
 もし……あの時、二人がキスをせず、お互いを意識せずに今まで通りの関係を続けていれば……ハコは奴らに拉致されることはなかったのではないか、と。

「パパァ」
 背後から聞こえてきた声にカギは我に帰って振り返る。
 寝巻きの裾の部分をぎゅっと握って大きな目に涙を溜めてハコがこちらを見ていた。
 その顔を見てカギは、雷の音と自分がその場にいなかったことの恐怖で部屋から飛び出してきたのだと直ぐに気付いた。
 カギは、気持ちを落ち着けるようにビールを一口飲んでから立ちあがり、そっと窓を閉める。
「どうしたハコ?」
 カギは、ハコに笑みを向けて言う。
「雷がこわかっ……」
 カギが言い終える前にハコは、カギに抱きつき、顔を胸に埋め、柔らかい身体を押し付ける。
 カギの下腹部が再び熱くなる。
 しかし、呼吸を小さく、ゆっくりと整え、気持ちと熱を冷ましていく。
 カギは、そっとハコの背中を摩る。
「悪かったな。一人にして」
 カギの声にハコは声を出さず、代わりにぎゅっと身体に回した手に力を込める。
 カギは、唇を綻ばせ、頭を優しく撫でる。
「ほら、布団に戻ろう。パパも一緒に寝るから」
 カギは、ハコを抱きしめたまま寝室に連れて行こうとする。
 まだ、半分ほど残っているビールをどうしようか?と考えてると……。

 カギ……。

 カギの心が静止する。
 カギは、顔を下げるとハコが大きな目から涙を流し、頬を赤らめてカギを見ている。
「カギ……」
 カギの心臓が激しく高鳴る。
 ハコは、今自分のことをなんて言った?
 カギ……と呼んだのか?
 パパではなく……?
「ハコ……?」
「カギ……」
 ハコは、震える声で呟き、右手を縁側の窓に伸ばす。
「カギ……かけて」
「へっ?」
 カギは、きょとんっとした顔で縁側の窓を見る。
 確かに鍵がかかってない。
 カギ……鍵……。
 カギは、全身から力が抜けていくのを感じる。
 ハコは、怪訝な表情を浮かべて首を傾げる。
「どうしたの?パパ?」
 いつもと変わらない幼い表情でハコが聞いてくる。
 それを見てカギは思わず苦笑を浮かべてしまう。

 まったく俺は……。

「何でもないよ」
 カギは、ハコの頭を優しく撫でる。
「さあ、もう子どもは寝る時間だ。戻るぞ」
 そう言って縁側に手を伸ばし鍵をかけた瞬間、稲光が窓を埋め尽くし、雷鳴が家中に響き渡る。
「いやあああああっ!」
 ハコは、体当たりするようにカギにしがみ付く。
 さすがのカギも体勢をずらしていたので思わずよろけてハコに抱きしめられたまま縁側に倒れ、背中を思い切り打ち付ける。
 息が一瞬止まり、小さな空気の塊が口から漏れ、手から離れたビール缶が中身を散らばしながら廊下の端まで飛んでいく。
「大丈夫か……ハコ?」
 痛みに呻きながらもハコに怪我がないか、確認する。
 しかし……。
「ハコ?」
 ハコは、カギの胸にしがみつき、身体を大きく震わせている。歯の根が合わず、目が絶望と恐怖に震えている。
 これは……。
「ハコ?」
 カギは、もう一度、蘇る。
「……やめてください」
 ハコの口から声が漏れる。
 それは、幼いハコの声ではなく……。
「お願いします……やめてください……お家に帰してください……」
 ハコは、カギの胸を握るように握りしめ、涙を流しながら懇願する。
「おばあちゃんに……おばあちゃんに会わせてください……ゆかり……ゆかり……助けてゆかり……」
 カギの鋭い目が激しく震える。
 これは……これは……まさか……。
「ハコ?」
 カギは、彼女の名を呟く。
 愛する娘ではなく、愛する女性の……。
「ハコ……なのか……」
 カギは、震える手でハコの顔に触れる。
 その瞬間、ハコの顔が恐怖に弾ける。
「いやあ!触らないで!」
 ハコは、カギの胸の中で狂乱する。
「もうやめて!来ないで!触らないで!なんで……なんでこんなことするの⁉︎私が何をしたの……⁉︎」
 ハコは、手が、足がカギの顔と身体ん叩きつける。
 ハコは、目を恐怖で走らせ、表情を歪め、必死に叫ぶ。
「ハコ……」
 カギは、ハコの身体を力一杯抱きしめる。
「ハコ……大丈夫だ。ここはハコの家だ……お前はもう助かったんだ……誰もお前に酷いことなんてしやしない!だから……」
 カギは、必死にハコに叫び、訴える。
 ハコの動きが止まる。
 恐怖に震えた目がカギを映す。
「……カギ?」
 ハコの口から声が漏れる。
 ハコの白い手がカギの頬に触れる。
「カギ……なの?」
「そうだ……」
 カギは、小さく頷く。
「俺だ……カギだ」
 ハコの目から涙が溢れる。
 恐怖ではない。
 喜びの涙が……。
「カギ……来てくれたんだね……カギ……」
「ああっ」
 カギは、大きく頷く。
「もう大丈夫だ。もう大丈夫だから……」
「ああっ」
 ハコの顔がカギに近づく。
「カギ……」
 ハコの唇がカギの唇に触れる……。
 カギの目が大きく震える。
 ハコの目がゆっくりと閉じていく。
 唇が離れ、そのままカギの身体から転げ落ちる。
「ハコ!」
 カギは、身体を起こし、ハコの顔を見る。
 ハコの顔から恐怖が消え、安らかな寝顔に戻る。
「ハコ……!」
 カギは、もう一度呼びかける。
 ハコの瞼が震える。
 ゆっくりと、ゆっくりと大きな目が開く。
「ハコ……」
 カギは、呼びかける。
 ハコの口がゆっくり開き、言葉を紡ぐ。
「パパ」
 その目は、いつもの幼いハコのものだった。
 カギの目が大きく震える。
 ハコは、大きな目をぱちくりさせて身体を起こし、キョロキョロと周りを見回す。
「あれ……?」
 ハコは、首を傾げる。
「どうしてハコここにいるの?パパ?」
 ハコのあまりに純朴な質問にカギは力が抜けていくのを感じた。
「覚えて……ないのか?」
 ハコは、大きな目を瞬きさせ、人差し指を口元に当てる。
「えっと……雷の音に起きて……パパがいなくて……怖くて……探しにきたら……パパがお酒飲んでて……そんで……」
 そこから先は覚えてないようで何度も何度も首を捻る。
「ハコ・・・寝ちゃった?」
 ハコの素っ頓狂な言葉にカギは、瞬きし、そして思わず声を上げて笑ってしまう。
 カギが突然、笑い出したことにカギは驚く。
「そうそうっ」
 カギは、ハコの頭をぽんっと撫でる。
「怖い夢を見たみたいだな」
 カギは、ゆっくり立ち上がる。
 そしてハコの手を掴んでゆっくりと立たせる。
「さあ、もう寝よう」
 ハコの頭を優しく撫でる。
「もう……お前をどこにも行かせないから……ずっと一緒にいるから……な」
 そう言ってカギが笑うとハコは嬉しそうにカギに抱きついた。
「うんっパパ大好き!」
 ハコは、目を輝かせて頬を胸に埋める。
「一緒に寝よう」
「ああっ」
 カギは、優しく微笑んでハコと一緒に寝室に戻る。
 窓の外はいつのまにか雲が消えていた。

#恋愛小説部門
#最愛
#娘

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?