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希望のハコ 最愛の娘になった最愛の君へ 第十七話

「彼ね。本当に良い人なのよ」
 屋敷を出る時、ダリア婦人は今日のことを謝罪すると同時にそのように言ってきた。
 台湾カステラとくだんの影響で出足は遅れたもののハコとカンナは無事に授業を終えることが出来た。
 今日は、国語の勉強をしたそうでハコはカギに習ったばかりの"木"と"川"の書き方を自慢げに教え、カンナは漢数字の一〜十までの書き方をゆかりに披露した。
 その後、綺麗な狐色に焼き上がったクッションのように膨らんだ台湾カステラをみんなで食べようと居間リビングに集まり、夕飯前だからと小さく切り分けたものを全員に配った。
 ハコとカンナは、三人とは少し離れたところに簡易テーブルを置いて肩を寄せ合い、独自の世界の会話を繰り広げながら台湾カステラを堪能した。
 お陰でこちら側の話しはまるで聞いてない。
 ダリア婦人は、新しい茶葉に取り替えて紅茶を淹れ直し、二人の前にカップを置く。
 雨宮が用意した物と同じ茶葉の同じ茶器なのにダリア婦人の紅茶はとても美味しそうでゆかりは、「いただきます」とカップを手に取り、そっと口を付ける。
 熱と共に膨れ上がる花のような香りが身体中に広がり、二人が勉強中に外出した時も揺れ動いていた心がようやく落ち着いてくる気がした。
「そしてお姉さんのことがとても大好きだった」
 ダリア婦人も紅茶を一口飲む。
「この紅茶と一緒で……温かくて優しい人だったっていつも言ってたわ」
 ふうっとダリア婦人は、息を吐く。
 カギは、紅茶にも台湾カステラにも手を付けずにじっと下を見ている。
「彼は、お姉さんがいつ帰ってきてもいいように高校を卒業すると同時にご両親の元で修行をして後を継いだの。そして被害者団体にも積極的に参加し、行政や警察、世論に訴え続けたわ。お姉さんを取り戻す為に」
 カギとゆかりの脳裏にニュースで放送されていたカーマ教の本拠地に向かっての抗議活動や国会に訴える為のデモ行進の映像が浮かぶ。
 その中にはハコの祖母や亡くなったダリア婦人の夫、そして若かりし頃の雨宮もいたのだろう。
「鍵本さんがカーマ教の本拠地を潰し、ハコさんを救出したと言う話しを聞いた時の彼は心の底から喜んだ。天が自分たちの味方をした、これで姉が帰ってくると……なのに……」
 カギの脳裏に雨宮の言葉が蘇る。
"姉は見つかりました。白骨化した遺体として"
「その時の彼の絶望に包まれた顔は今も忘れることが出来ません」
 カギの脳裏に穏やかな笑みを浮かべて憎悪を燃やし雨宮の顔が浮かぶ。
「彼だけではありません。被害者団体に今も所属している人たちは皆、似たようなものです。大切な家族を奪われた人、壊された人、そして待ち望んだのに帰ってこなかった人……彼らのカーマ教への恨みは日々積もっていってます」
 ダリア婦人は、ふうっと息を吐き、紅茶で乾いた唇を湿らせる。
「だからと言って……」
 ゆかりは、紅茶のカップをそっと置く。
「だからと言って……ハコを利用しようと考えたのは許せません」
 ゆかりは、キッとダリア婦人を睨む。
 ハコは、自分の名前が呼ばれたと思って顔を上げるが、カンナに声を掛けられてすぐに二人の世界に戻る。
「ええっその通りです」
 ダリア婦人は、カップをテーブルに戻す。
「そんなこと……許されることではありません。ハコさんの気持ちを……鍵本さんの気持ちを考えれば……」
 ダリア婦人の目がカギに向く。
 カギの鋭い目は下を向いたままだ。
「カギ……」
 ゆかりは、小さく肩を竦める。
「あんたもなんか言いな。ハコの気持ちを一番分かってるのはあんたなんだよ。あんな奴に好きに言われて……」
「……そうだな……」
 カギは、小さく息を吐き、目を上げる。
「今のハコの気持ちを分かるのは俺だけだからな」
 ゆかりの目が大きく見開く。
 カギは、なんと言った?
"今"のハコと彼は言ったのか?
 それはつまり……。
「カギ……あんた……」
 ゆかりの声が小さく震える。
「とにかく二度と彼にはあんなことはさせません」
 ダリア婦人の目尻の下がった優しい目に怒りが灯る。
「彼にはもう二度と、特にハコさんがいる時に敷居を跨がせることはさせません」
 ダリア婦人は、年齢と見た目からは考えられないような強い口調で言う。
 そして元の優しい目に戻る。
「なので安心して二人を通わせてくださいね。ハコさんもカンナちゃんもお勉強とても大好きですから」
 ダリア婦人は、にっこり笑う。
「もちろん私も……ね」
「……ありがとうございます」
 ゆかりは、小さく頭を下げる。
 カギもそれに倣って頭を下げるも表情は固いままだった。
 ダリア婦人の宣言通り、それから雨宮が現れることは一度もなかった。
 ダリア婦人の話しによると彼もあの後、反省して謝りの電話をして来たそうだ。
 頭に血が昇っていた。
 感情を抑えることが出来なかった。
 ハコとカギに申し訳なかったと伝えて欲しい。ゆかりにも失礼なことを言ったと伝えて欲しいと泣きながら言ってきたそうだ。
 それでもダリア婦人は、許さず一年は顔を出すことを禁止し、ケーキも買いに行かないと伝えたそうだ。
 見かけによらず気が強いダリア婦人にゆかりは舌を巻いた。
 カギは、次の日にはいつものカギに戻っていた。
 鋭い目で穏やかにハコと暮らしている。
 ハコもカギのことが相変わらず大好きで、二人の間からは暖かな親子の愛が溢れていた。
 そう親子の愛が……。
 カギが時折、ハコのことを寂しそうに見つめていることをゆかりは気づいていた。
 元々、ハコとカギが一緒に暮らして始めた頃からそんな表情が時折、見られることはあったがあの後からは特に増えた気がする。
"今のハコの気持ちを分かるのは俺だけだからな"
 そんなことない。
 あんたは、昔のハコのことだってちゃんと分かってる。
 しかし、ゆかりはその言葉をカギに伝えることが出来なかった。
 ゆかり自身、昔のハコのことをちゃんと分かってると言うことが出来なかったから……。
 記憶を失う前のハコが何を思っていたかが……。
 そんな日々を過ごして本格的な夏を迎えたある日……事件は起きた。

#恋愛小説部門
#最愛
#娘

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