希望のハコ 最愛の娘になった最愛の君へ 第十五話
あの後、往来を気にせず散々大泣きしたゆかりをハコとカンナは宥め、守るように両側から彼女を抱きしめながらダリア婦人の屋敷へと向かった。
「パパは、近づいちゃダメだかんね」
「あとでパパに言いつけるからね」
ゆかりを泣かしたという謂れのない罪を付けられたカギは、ハコとカンナに冷たい目で見られながら肩身が狭そうに後ろから付いて歩く。
後でちゃんと誤解は解いてくれるのだろうか?
愛娘と親友に両側から抱きしめられて嬉しそうにデレているゆかりを見て不安げに思った。
そうしている内にダリア婦人の屋敷の前に着くとハコとカンナはゆかりから離れて我先にとインターフォンを押しにいく。
腕の長さでハコの手が先にインターフォンを押す。
ハコは、自慢げに胸を張り、カンナは悔しそうに眉毛を垂らす。
そんな様子をカギとゆかりは可笑げに見る。
しかし、インターフォンを押したのにダリア婦人からの応答がない。
ハコは、眉を顰めてもう一度インターフォンを押そうとすると横からカンナの指が入ってきてボタンを押す。
今度はハコが悔しそうに、カンナが自慢げに胸を張る。
インターフォンから声が返ってくる。
『ごめんなさい。今、手が離せないの。開いてるから入ってきてもらっていい?』
インターフォンから返ってきた声にハコとカンナは"はーいっ"と返事をし、カギとゆかりは訝しそうに顔を見合わせる。
屋敷の中に入ると甘い香りが漂っていた。
ふんわりと浮かぶ雲を連想させるような柔らかな甘い匂いにハコとカンナは目を輝かせる。
「こっちに来てくれるぅ」
匂いの先からダリア婦人の声が流れてくる。
ハコとカンナは、急いで靴を脱ぐとゆかりが止めるのも聞かずにダリア婦人の声のする方に駆けていく。
カギとゆかりは、小さく嘆息し靴を脱いで二人の後を追う。
四人が辿り着いたのはゆかりの美容室と同じくらいの広さのあるキッチンであった。
青と白のタイル張りの壁に大きな流し、大きな鍋が幾つも入りそうな収納棚、最新式と思われる黒く、広い備え付けのIHコンロに大きな冷蔵庫、そして壁に埋め込まれた鉄製の大きな黒いオーブン。
その前に分厚いエプロンに首に浅葱色のタオルを巻き、耐熱手袋を付けたダリア婦人ともう一人、ダリア婦人と同じ分厚いエプロンに耐熱手袋を嵌めた男性が立っていた。
年はカギやゆかり、そしてハコよりも三つが四つ上だろうか?品よく髪を切り揃え、温和な目に丸い輪郭をした美男子だ。背はカギよりも低く体つきも細い。
しかし、隙がない。
その姿勢、雰囲気、足の開き方で何かしらの武道を嗜んでいることが分かる。
カギは、無意識に警戒体制を取る。
男もそれに気付いたのか温和な目を細める。
「いらっしゃい皆さん」
ダリア婦人が明るい声で言う。
「こんにちは先生」
「こんにちは先生」
ハコとカンナは、笑顔で挨拶する。
それに続いてカギとゆかりも挨拶する。
「ごめんなさいね。こんなところで」
ダリア婦人は、耐熱手袋を外して首に巻いたタオルで汗を拭く。
「皆さんがくる前に今流行りの……えっと……なんて言ったかしら?」
ダリア婦人は、助けを求めるように男に目を向ける。
「台湾カステラです」
男は、平静に答える。
女性と勘違いしそうな少しキーの高い綺麗な声だ。
ダリア婦人は、「そうそう」と言って手を叩く。
「台湾カステラ。それを焼いておこうと思ったんだけど、オープンの火が中々点かないくて……」
そう言って眉を顰めてオープンを見る。
恐らくガスや電気ではなく薪で火を起こす古いものなのだろう?黒い扉に付いた耐熱ガラスの小窓から炎の舌が見え隠れしている。
台湾カステラと言う言葉にハコとカンナの目が輝く。
台湾カステラ……キッチンカーで売ったら人気が出そうだな、とカギは考える。
「彼がいなかったら危うくパンケーキになるとこだったわ」
そう言って男に微笑みかける。
「いえ、消し炭が詰まってたのを掃除しただけですよ」
彼は、和かに笑う。
「あの……」
ゆかりが男を見る。
「こちらの方は?息子さんですか?」
ゆかりの言葉にダリア婦人と男は目を合わせて笑う。
「違うわよ。私の息子はこんなイケメンじゃないわ」
喉を鳴らすように笑いながらカギと……ハコを見る。
「彼はね。私の夫の仲間なの」
その言葉にカギは、鋭い目を大きく開く。
ダリア婦人の亡くなった夫の仲間と言うことは……。
「鍵本義一さんですね?」
男は、柔らかく会釈する。
「ずっとお会いしたかった……」
そう言ってカギに右手を差し出す。
しかし、カギはその手を見るだけで握り返そうとはしなかった。
「ああっ名乗りもしないで不躾でした」
男は、ゆっくりと手を引っ込める。
「私は、雨宮晴人と申します。友人や仲間からは雨なのに晴れかよとよく揶揄われます」
男は、軽く笑い、そして真顔になる。
「カーマ教被害者団体の現代表を務めております」
その言葉にカギの鋭い目が細まり、ゆかりの目が大きく震える。
「どうぞお見知りおきを」
そう言って雨宮と名乗った男は和やかに笑った。
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