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骸:第14話 5年前 2週目 ー心臓ー 

リーダー業務は定期的に回ってくる。
20歳の女性がマンションから転落して亡くなった翌週もリーダー業務が当たっていた。

夜勤は自身を含め3人だった。
3年目の後期研修医と1年目の初期研修医。
いつものように勤務前に胃液をトイレに流してから勤務に当たった。

21時頃 救急隊からの連絡が入った。
32歳 女性 交通外傷の搬送依頼だった。
女性の意識はない、そして 女性は妊娠中との情報だった。
明らかな重症であり、他の2人の若い医師では対応が難しいと思われた。
だからと言って、対応できる自信があるわけではない。
しかし、対応しなければならないというのが現状だ。

救急車が到着した。
搬送された女性の意識はなかった。
心臓はかろうじて動いていたものの、呼吸はしていなかった。
女性に気管挿管を行ってから、2人の若い医師と看護師に指示を出した。
輸液をして、血液検査を出して、外傷の評価を行っていった。
CTなどの詳しい検査に行きたくとも、状態が悪過ぎて行けない状態だった。

血圧がとても低かったため、多量の輸液を行った。
どこからか出血していることは明らかだった。
ただ、どこからかは分からなかった。
念の為、オンコールの産婦人科医と脳神経外科医に連絡したが、今の状態では産婦人科としても脳神経外科としてもできることはないとのことだった。

できることをするしかなかった。
後期研修医の診察では複数の肋骨と骨盤の骨折が疑われた。
骨盤の骨折をすぐに対応するのは難しい。
専用のベルトで動揺している骨盤をしっかりと固定した。
メスを準備してもらい、左胸を開いた。
心臓から降りていく大動脈を切れないハサミのような器具を用いて遮断した。
後期研修医に直接心臓に触れてマッサージするように指示した。
血圧は上がらなかった。
血圧が上がらないだけではなく、脈拍も徐々に遅くなっていった。

当番の心臓外科医に連絡した。
足の付け根からカテーテルと呼ばれる細い管を挿入して、先端のバルーンを膨らませることで、バルーンより下の部分に血流が行かないようにして出血を減らす処置を行なってもらった。
それでも状態は変わらなかった。

血圧は徐々に下がっていき、心拍数も徐々に弱くなった。
直接マッサージしている心臓も血液が少なくなっていき、小さくなっていった。
研修医たち、手術室に行く可能性もあったため応援に来てくれていた麻酔科医、処置を行なってくれた心臓外科医、看護師たちからの視線を浴びた。
「次はどうするのか」 そう言いたげな視線を。

検査に行けない、手術室にも行けない、できることはやっていた。
それでも徐々に弱くなっていく心拍と徐々に下がっていく血圧。
その数値を見ながら、何も決断できずにいた。

時が止まったようだった。
周りの景色は止まっているか、スローモーションのようにほとんど変化しないように見えた。
長かった。
なかなか時間が経たない中、何も決められないまま時間が過ぎた。

そして、脈拍は消失し 血圧は測定できなくなった。
サポートに来てくれていた医師が一人ずつ部屋を後にしていった。
研修医たちは他の患者さんの診察にいかせた。
16畳ほどある広い救急室で2人の死亡確認をした。
お腹の子どもは外の光を一度も見ることはなかった。

どちらも助けることができなかった。

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