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“一冊の書物”

 結局のところ、この〈時〉の観念は、私にとってぎりぎりの価値を持っていた。それは人を奮い立たせるもので、私にこう語っていた、もしも私が自分の人生の過程で、例えばゲルマントの方やヴィルパリジ夫人と馬車で散歩していた折りなどにときどきちらりと感じたもの、人生を生きるに価するかのように思わせたもの、そのようなものに到達したいと望むのなら、今こそ始めるべきだ、と。人が暗黒のなかで送っている人生も光で照らしだすことができ、人が絶えずゆがめている人生もその真の姿に引き戻すことができる。つまりは一冊の書物のなかにそれを実現することができる。そんなふうに見えるようになった今、どんなにかこの人生は私にとって、いっそう生きるに価するように思われはじめたことだろう!

——マルセル・プルースト『失われた時を求めて 第七篇 見出された時』

 結局のところ、この〈時〉の観念は、私たちにとって大きく意味を変えようとしている。そうした変化はもうとっくに始まっていたことなのかもしれないし、そもそもが最初からそうだっただけのことなのかもしれない。おそらくそうに違いないのだろう。そう思いいたったこれまでの過程をたどってみることは、それをこれから再構築していくこととどれほどの違いがあるのだろうか。今やそれに取り掛かる時期に来たことを告げていた。これまでと同じように、思いがけず、でたらめで、閃きをつかむような行程を進むことになるだろうが、それは私たちのさまざまな制約を捨て、更なる上部構造にシフトするための手がかりのひとつになるだろう。つまりは“一冊の書物”の中にそれを実現することができる。そんなふうに思えるようになった今、思わず口をついて出てしまったのがあのセリフだった。

[ AZ ]
2021-03-31 18:02(UTC+0900) @TSD /TT

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