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京都から北海道への旅⑤-今は旅のできないあの人へ-

2021年10月初旬

北海道へ-Peachで行く空と地理の旅-

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 晴れ渡った日に空港を飛び立てると、運賃の何倍も得した気分になる。Peachが飛ぶ前、関空は経営的に危うい時期があった。人が閑散としていて、関西空港島は沈めへんけど関西国際空港株式会社は沈むんちゃうか、なんて話を空港に勤めている友達に話したら、あながち嘘ではない、でも関空は国の管轄やから島はなくなっても会社だけは残るはず、と減らず口を返していた。あの頃、本当に関空は危ないと思っていた。

 Peachだけのおかげ、ではないとは思う。インバウンドの増加や、その他いろんな要素があったのだろう。でも確実に旅のスタイルを変え、関空に人を呼び込んだのはこの航空会社に違いない。
 私の愛する沖縄は格段に近くなった。そして何より、今まで以上に旅が日常になった。それ以前なら、一泊二日で沖縄に行こう、なんて贅沢なこと、会社の社長くらいしかせんやろ、と思っていた。それを結構な頻度で私にもできるようになった。まさに、ほんまおおきに、である。

 安かろう、でびっくりしたこともあった。座席についてフライト。しばらくすると背中で何かが動く。マッサージ機能か?いやいや、そんなわけない。そぉっと後ろを見る。なんと後ろの子どもの膝が、前の私の座席に当たっている。そして、薄っぺらいその背もたれから、直にその感触が伝わっていたのである。飛行機をバスのように使ってほしい。そんな内容をPeachの広告で読んだ覚えがあるけれど、うん、バスだってもう少し、座席の背中部分は分厚い、かな。

 でもそんなことがあったとて、Peachの大いなる価値が揺らぐことは全くない。ただできれば第二ターミナル、もう少しだけいい風にしてほしい、なぁ。昔、Peachで那覇空港に着いたときはもっとびっくりの、もろ貨物ターミナル丸出しみたいな到着口やった。けれど今ではすっかりきれいなところに駐機するもんなぁ。

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 いつもは飛行機に乗ると離陸して10分以内に寝てしまう。もったいない、と言われようと何であろうと、眠いし寝るのが心地よいし。たいてい機内で寝るために、前日の夜は短めの睡眠にしている。て、単に、いい歳になっても旅の前はなんだか理由もなく寝られないだけなのだが。ただ昨日はお気に入りのホテルで最高の眠りをたっぷりとったので、珍しくばっちり目が開いている。その上、極上の天気。これは誠にラッキーだ。

 眼下にきれいに関空が見える。改めてこの面積を埋め立てた人間という生き物のすさまじさを感じる。これだけ広大な土地を産み出す生き物なんて、人間くらいではないだろうか。関空の向こうに見える埋め立て地だって、車で走るとかなり広い。それよりずっと大きな島を作り出してしまったのは、人間の創造力と執念の賜物だと思う。

 この高さから和歌山と大阪の県境の山地を見ると、おぼろげに昔習った記憶のある造山活動というものを実感できる。ブラタモリを見ているせいか、最近地理というものが面白い。
 この山々の連なりによって作られた大阪と和歌山の継ぎ目が中央構造線であり、地球規模のとてつもない力で作られたことを考えると、なんだかその膨大なエネルギー巨大さに一瞬目がくらみそうになる。地図てみてもピンとくることはなかった。本物にはやはり、伝わってくる力がある。

仁徳天皇陵

 視界には、もう大仙陵古墳が入ってきた。電車ならば30分以上かかるだろう。それをほんの数分で移動するジェット機という乗り物のすごさを、普段忘れてしまっている。
 今は直線で区切られた埋め立て地で占拠され尽くしている大阪湾岸は、その昔、この古墳のすぐそばにまで海がせまっていたそうだ。実際、海方面の西からこの御陵を訪れると、手前でわずかながら坂を上ることになる。恐らくこの辺まで海が来ていたのだろう、と思いながら歩いたのを覚えている。

 その昔、示威行為のモニュメントとして古墳が作られたと聞いた。言い伝えでは仁徳天皇の墓。天皇の死後、人々は一大プロジェクトを立ち上げた。
 先進国である大陸の人々は九州から瀬戸内に入り、その大きな海の大道を西へと進む。仁徳天皇の宮があったとされる難波高津宮を左に眺めつつ、南に進路を取って下ると、そこにこの巨大な人工物が見えてくる。今はその表面を覆う樹々は、当時全くなく、丸い石に覆われていた。その石を照らす太陽によりわずかに光るように見えた、丘のような高さの人工物を、まだ日本と名乗る前の我々の祖先たちは少なからず胸を張って彼らに見せた事だろう。
 一体その時、大陸の人はどう思ったのか。巨大なモニュメントを目にした時彼らは、この国は野蛮ではなく技術と文化のある国家だ、と感じたであろうか。それとも、この程度で何を誇らしげに、と嘲笑っただろうか。

 古代において国の威信をかけて造営されたものが、千五百年以上経つ現在でもこの高高度からも視認できるというのは、ある意味とてつもなく奇跡的なことだと思う。よくぞ残されたものだと思う。当時の技術者たちがこれを見たらどんな反応をするだろう。あまりにうれしさにむせび泣いてしまうかもしれない、自分だったならば。

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 飛行機は東へと進路を変え濃尾平野を飛び越え、やがて北へと向かう。富士山が遠くに見える。冠雪は確認できない。やはり富士の山は探して写真を撮ってしまう。雲がせき止められている様子がよくわかる。海からの雲は静岡側に雨を降らすのだろうか。

 山また山。日本の国土の総面積は、国別でみると実はそこまで狭くはない。ただ、平地面積が異様に少ない。山が平地を分断し、人を隔て、それによって多様な文化が生まれたのではないか、と夢想する。本当に飛行機に乗り高所から国土を見るたび、北前船や樽廻船など、港々を回る航路が開発されたのは必然だったのだと思う。海の上でないと、荷物は運べず、都市と都市はつながりを持てない。
 そしてこの国は馬車には適さない、と。この山地に馬車道を作るのは、まあ無理だっただろうと心底思う。江戸時代に馬車が西洋から入ることはなかった。

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 旅をするとその土地のでかさを直に知ることがよくある。特にこの下北半島を巡った時には、その広さに頭がついていかなかった。大阪は日本で二番目に小さい。なので私の中で形成されている土地の縮尺感覚もそれに準ずる。半島、と言われれば、それは小さなものなのでしゅっと回れるもの、と勘違いする。
 しかし下北半島で車を借り、実際に運転し、そのとてつもない奥深さに怖くなり、そしてようやく地図を見て気づく。半島とは名ばかりで、大阪よりも大きいのではないか、という事実に。教科書というものがいかに、本当の知に対する補完的なものでしかない事がよくわかる。実地の経験には全く及ばない。やはり旅をすることには大きな価値がある、と思う。こうして飛行機で上空から眺めていてさえ、下北半島の時間はしばし続いている。

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 津軽海峡を飛んでいると雲に入った。子供のころ、天空の城ラピュタを見て、雲に入ると、ぼふん、と水がはじけるように雲もはじけると思い込んでいた。しかし大人になり飛行機に乗って、何事もなく雲の中に入る飛行機に少しがっかりしたのを覚えている。

 雲を抜けるとそこは、明らかに本州とは違う顔を持つ、北海道の広大な平野であった。荒々しい大地がずっと続いていて地平線が見える。山ばかりの島とは全く違う。

 前回の北海道旅の際、ゴールデンカムイを買ってしまった。それを読んでいたので妄想が膨らんだ。アイヌの民が自然と共に暮らしてこの地を闊歩していた頃、いったいどれだけ、自然に対する、北海道の大地に対する知がその文化に蓄えられていたのだろう。彼らを勝手に、自らの下に見た大和の民族は、やがてその貴重な蓄積をつぶしてしまった。そして馬鹿な政治家は、アイヌなんてものはいない、と発言する。

 マチュピチュに行った際、スペイン人がインカ帝国の文明を完膚なきまでにつぶした話を聞いた。そしてその地に地震が起きた時、愚かなスペイン人の建物はすべて崩れ、インカの民が建てたものは堅牢に残った、と聞いた。

 アイヌが残してきた文化と智慧のほんの一部でも、愚かな大和の民の生活に残されているのだろうか。この緑あふれる大地で、アシㇼパのようなアイヌの民が駆け巡り、自然と共存し均衡をきちんと保ちながら、熊を狩り、鹿を狩り、あのうまそうな料理を食してほくほくと笑っていたのだろうか。
 どこかにまだあんな暮らしをしている民がいるとすごく素敵なのだが、と愚かな大和の民の末裔がエゴイスティックに考える。

鮨わたなべ-北海道の高級店へ-

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 ホテルにはまだ入れない。宿を安く上げるためにチェックインの遅いプランにした。荷物を預けて、さあ、今晩のご飯はと考える。おにぎりあたためますかの大ファン視聴者である私のマップには、札幌のフラグがやたらと多い。食糧自給率が100%をはるかに超える北海道は、うまい素材の宝庫。もちろん、おいしい食べ物屋の宝庫。迷う。

 このコロナ禍で、体が元気なことは当たり前ではない、と心底思い、自分が心の底から本当にやりたいことからやっていこうと決めた。ただ、やはり迷ってしまう。二の足を踏むどころか、もう五の足以上踏んだ。えいっ、いったれ!鮨わたなべに電話をする。超人気店らしいから、インバウンドの人が戻っていない今を逃したら恐らく、いつかはいつかのままで終わってしまう。
 電話のコール音を聞きながら、脳のどこかで、満席です、って言われれば、なんて考える。高い。私にとってはもうもう、本当は思いつきで行けるようなところではなく、何か月も前から計画していくような高級店だから。でも実は、そういう店こそ、何か思い切った時しか行けないのかもしれない。
 電話の向こうで出たその声は、今日なら席がある、との旨を伝えてくれた。行くことになってしまった。よし、行こう。

 歩くのがとても好きだ。平地ならば四キロくらいまでは徒歩圏内と思っている。調べてみると二キロ弱。よし、歩こう。空腹に勝るソースはない。そんなもんなくても、十分おいしいだろうが。

 歩くと写真を撮るところがたくさん出てくる。しかし夜に撮る写真はピンボケが多い。カメラの性能に腕がついてきていないことを痛感する。
 札幌から大きな通りを南へ下る。途中、右手に美しい建物を発見する。あの洋館はいったいなんなんだろう、と思いながらシャッターを切る。後で調べてみるとどうやら北海道庁だったらしい。明治政府が威信をかけて開拓した北海道は札幌。その権威をそのまま形にしたような、重厚な建物。すごくいい。
 やがて、ニッカの看板が見えてきた。目的のお店はもう歩いて数分だろう。高級店に入る前のこの数分、実はいつもいろいろな気持ちがないまぜになって、それが、後悔、というものに似た感情になる。なんてことしてしまったのだろう。そんなに重たい暖簾、一人ではくくらないといけないとは、と。まだまだ私は、そんな店に見合う格になれていない、とつくづく感じる。

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 お店は高級そうな店のたくさん入っているビルの中にあった。この入り口の前で、やはり少しばかり逡巡していた。ううむ、やはり高級店、やな。
 意を決して中に入る。奥にエル字型のカウンターと手前に小さな部屋が一つ。その個室には数人の団体さんがいて、エル字の長い方には先客が4人いた。もうそちらのコースは始まっている様子。
 一番奥にいる常連さん、らしきご夫婦と談笑しているのが大将だろう。

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 説明もそこそこに紙コップが置かれた。
 実はこのミルクが出ることは知っていた。確か、中標津にもともとお店があり、その地域の魅力を知ってほしい、ということで最初はその地域で摂れた牛乳で乾杯するのだ、というような話を例の番組の中で大将が語っていたので知っていた。知っていた、が、今はその説明がない。
 牛乳なんですね、とこちらから問いかけると、そうです、と言われた。そうですよね。

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 スペシャリテをあわせて、十二貫。それに加え、手の込んだ逸品たち。おいしい。とても美味しい。どれもネタはもちろん新鮮。技術も超一流、なのだと思う。
 特にスペシャリテである肝のソースをかけた鮑、そしてそれにご飯を入れ、良く混ぜて食べさせるという斬新な形の寿司の味はまさに悶絶ものだった、と思う。思うのだが、正直楽しくなかった。ただ味がおいしい、それだけだった。

 何とか海老はとっても高級で、北海道でもめったに手に入らないものらしい。コースには入っていないので別注で、と言われた、のを聞いた、別の客に説明しているのを。そして少し遅れてコースが進んでいた私には海老自体の説明はなく、海老を食べるかどうかだけ聞かれた。
 こういう時は薦められたものをなるべく食べることにしている。食べることにはしているが。食べてから、正直、日本海の甘海老とかモサエビとさほど変わらんよ、と思ってしまった。ただそれは、おそらく味の問題ではない気がする。

 終始、奥のご夫婦、そしてその横に座っていらっしゃる、少し身なりの良い男性を中心に話している。四席の残りの椅子、私に一番近い席には、寿司のキャラクターの絵がプリントされた服を着た、少し素っ頓狂なところのあるお客さんがいた。そして大将は、よくしゃべるその人には相槌を打っているだけ、に見えた。そして私とはほぼ会話がなく、説明もほぼなく、で。

 ドバイでの寿司職人はどうかと誘われた話、海外の寿司職人は法外な値段をもらって雇われている話、今は空輸の技術が発達して本当にいい魚は下手したらみんな海外に買われているかもしれないという話。いろいろと面白かった。が、そのすべての話は大将の『横顔』から聞こえてきた。

 寿司プリントのお兄さんが帰った後、以前来てくださったときもあの服を着られていたのでよく覚えてる、いくら寿司が好きでもあの服はすごいですね、という風なことようなことを残ったお客に話していた。品の良い独りのお客さんが、よく飲んでいましたもんね、お酒、楽しんでおられたみたいですね、と優しく付け加えていた。なんというか。
 やがてご夫婦が帰り、そのお客さんと二人になって、世界経済の話や日本の経済情勢の悪化への危機感、自分がアメリカでの行っている投資の話をその方と話していた。するとようやく、大将がこちらを見て相槌を打ってくれるようになった、気がした。

 お会計を見る。二万円越え。そっか。ま、当たり前か。高級店やし。お酒も飲んだし。カードを出して決済を待つ間、どことなく手持無沙汰だった。
 お店を出る際、仲居さんがエレベータのあたりまで見送りに来てくださり、気さくに話してくれたので、おにぎりあたためますかを見て来た、と話した。その方は、本当に北海道では大泉洋さん様様です、と笑顔で喜んでくれた。少しだけ心がほぐれたかな、と思った。

 今回はおそらく、自分だけが遅れてスタートしたから間合いが図れなかったのだろう。そう思うことにした。あと、北海道の人やから、多分おしゃべりがそんなにうまくないんやろ、と思うことにした。たぶん。おいしかったし。

 ただ、どっか北海道で味にハズレの無い高級店教えて、とお金持ちの友人に言われればここを薦める。が、恐らく正直自分一人で来ることはもうない、気がする。

 関東と関西の高級店でのお客の扱い方は、同じ高級店でも違う気がする。関西人の偏見、と言われればそこまでかもしれない。けど関東は、自分側の格を上げようとする。なんというか、うちはすごいんだ、という風に。客はそれにどことなく圧力を感じる。それによって、自分はすごいところにいる、と思えるのかもしれない。その圧を受け入れられるようになってこそ、自分にも格ができる、という風に思っているのかもしれない。私にしたら、ただ偉そうなだけ、なのだが。

 ただ、私の好きな関西の名店、今回行ったたん熊しかり、京都の名宿俵屋しかりだが、そういうお店はひたすらに自分の格を落としてくれる。落とす、という表現はおかしいかもしれないが、お客さんがどんな立場の人であろうと、同じ目線にまで下げて向き合ってくれる。そして、どうぞ心ほぐれるようにくつろいでください、と態度で示してくれる。言葉で表してくれる。あなたが心地よい風にしてください、と。
 そしてこの心地よさを、東京の高級な場所で感じられたのが、帝国ホテル東京であった。

 私の好きなお寿司屋さんに、すし豊と松寿司がある。二軒とも、いわゆる大阪の下町である東天下茶屋界隈にある。味と技術はもう絶品。大好きで、一品ごとに頭を抱えてうーんとうなり、おいしさを噛みしめる。
 が、何よりどちらの店もすこぶる心地よい。どちらの大将も、同じ口上であっても、すべてのお客さんに同じものを出すときに、同じように、同じ笑顔で、さも楽しそうに説明してくれる。そしてこちらが聞く、その食材や調理法に対する問いかけに、実にうれしそうに答えてくださる。

 お寿司だけではない。恐らくすべての食において、その店の人がお客さんといかに心を通わせつつ、その素晴らしい技術の粋を堪能させられるか。それが一番大事、だと思うのだが。別に話術を磨け、とは思わない。思いはしない。多分それは話術の問題ではないだろう、から。

心においしい昭和のラーメン-福来軒ー

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 なんだかおいしいもの食べたのに満たされないときは、淋しさだけが残る。すすきのを一人歩き、なんとなく帰ろうと思い、帰りたくない気になる。店々をのぞく。時短営業でもうほとんどが閉まりかけている。
 ネットでラーメン屋を探してみるが、ほとんど閉店時間となっている。よく見ると、ほんの近くにもラーメン屋があるが、そこも閉店時間となっている。行ってみてダメならもう部屋に戻ろう。カップラーメンでもコンビニで買って食べよう。そんなことを考えながらその店に行くと、なんと、開いていた。

 創業昭和四十一年。自分より年上の店を見るとうれしくなる。中に入るとお客さんは2人だけ。見た目で判断してはいけない、と思いながらも、頑固そうな二人の男の職人さんが切り盛りしている。何の気どりもないが、今一番来たかった場所かもしれない。においがよい。ラーメンのスープのコクのある香りが満ちている。寿司にはこれがない。たちこめる香り、という人を狂わせる至極の飛び道具が。

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 大食漢で本当によかった。味噌ラーメンにコーンとバターを乗せて。
 これぞ北海道の王道と、自分のオーダーに大いに満足してメニューを見た。ん、なんじゃこれは、生茎わかめ、とな。北海道やなぁ。こんなん関西ではほぼ見ることのないトッピング。長年の友って書いてあるやん。友なら頼まんわけにはいかない。追加で生茎わかめ、とお願いした。

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 出てきたのは、これ以上うまく描くことはできないであろう、想像した通りの北海道の味噌ラーメン。美味しくないわけがない、完璧な代物。

 ふと見ると二人いた内の二人目のお客さんが会計を済ませていた。そしてそのお客さんと一緒に、一人の職人さんが外に出て暖簾を下ろしていた。あぁ、閉店間近で申し訳なかったなぁ、と思いかけたその刹那に

「あ、気にしないでください。ゆっくり、食べていってください。」

 とカウンターの中のもう一人の職人さんが言ってくれた。
 なんと人は単純なんだろう。そんな当たり前とも思える言葉でだけで、あの店の後にこの店に入って本当に良かった、とつくづく思い、心がほこほこする。

 私は関西で味噌ラーメンを食べることはほぼない。それだけに北海道の味として大いに楽しむことができる。スープをレンゲですくって一口すすると、ほら、やっぱりおいしい。溶け込んだ出汁の中に何が入っているのかは、浅薄な知識しか持ち合わせていない私にはわからない。が、とにかくこの味噌ベースのスープはとびきりにうまいっ、ってことだけはしっかりとわかる。
 あぁ、軽い。最近はみんな味が濃いイコール美味しいラーメンてことになってきている。そんなのも好きだが、この何というか、毎日でも飲めそうなこのスープ、おいしいなぁ。麺をすする。なんぼでも入る。
 自分で自分をほめたくなったのは、生茎わかめを口に含んだときだ。後から頼んだの、大正解。なんやこの歯ごたえ。しゃきしゃき。そして味はしっかり、おいしさが口に広がる。北海道やなぁ。うまいなぁ。
 ただひとつ、網のようなスプーンがあればよかったのになぁ、と思いながら、コーンをすくいつつスープを飲む。
 流儀として、バターはいっとう最初になるべく麺に絡ませるようにして全部溶かしてしまう。このバターの塩味、そして脂っけが味噌のあっさりさを下から支えて、麺をさらにおいしくさせる。しゃきしゃきのわかめが合の手を入れる。ここで止まって咀嚼する。わかめの歯ごたえと、あっさりとしたその味で、もう一回麺に行きたくなる。来てよかったぁ。

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 ふぅ、とひといき。店内を見まわす。恐らく今までたくさんのタレントさんや有名人が来たのだろう。でもたぶん、ひたすらにラーメンを作って食べさせてたんやろうなぁ、などと知らないくせに思ってしまう。
 あの店にこれくらいの居心地が出来るまであと何年かかるのだろう、と思ってしまう。相手からしたら、余計なお世話、お金持ちのお店の経験がほとんどない人間に何がわかる、これが正解や、と思われだけなんやろうが。
 昭和四十一年からということは、もう五十年以上。
 続く、ということは、取りも直さずそれだけの間、人から愛されてきたからに他ならない。特にここすすきのは、北海道一の激戦区だろう。この店に入れて本当に良かった。自分の中で、すすきののイメージが少しよくなった気がした。

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 ホテルのある北海道駅をめざし、ふらふらと歩く。帰りに撮ればいい、と思っていたテレビ塔の電気はもうすでに消えていた。イルミネーションを撮りたい、と思っていたのに。やはり写真は、撮りたい、と思ったその瞬間の風景をその時に撮っておかねばいけないな。いつも同じことで反省している気がする。

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 JR東日本メッツホテルの部屋は、新しいこともありとても快適だった。うれしいことにコーヒーはロビーで淹れられ、飲み放題で部屋にも持ちかえれる。その上、入浴剤なんかも置いてあって、自由に取ることが出来る。いるものを、いる分だけ。洗顔料やなんかもすべてそろっていて。
 なんだか本当に、ホテル経営をしている人たちには感謝で頭が下がる。日々進化して、良くなっている。格段に、快適に。ありがとうございます。

 風呂をこよなく愛する人間としては、浴槽があるのは本当にありがたい。今日はそれに入浴剤まである。昨日はシャワーしかなかったからなぁ。
 なんだかよく歩いた。そしてすごく、いろいろな形で心を遣った気がする。うーん、疲れた。そういえば朝は京都にいたんやもんな。今日は檜の香りの入浴剤のお風呂に入って、ゆっくりと寝よう。

 明日は何、食べよっかな。

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