失敗を歓迎するということ
少なくとも私の人生のなかで、失敗を歓迎するなどと言う人には今のところ会ったことがありません。誰だって失敗などしたくないですよね。
では、なぜ人は失敗したくないのでしょうか。
失敗すれば人に迷惑をかけるから。
説教されて惨めな思いをするから。
仕事のできない人間と思われたくないから。
誰も得をしないから。
どれももっともな意見ですね。
でも逆に、こうは言えませんか。
失敗したということは、何かしら行動したということだ、と。
行動していなければ、失敗は避けられたかもしれない。でも、それも覚悟の上で行動を起こして失敗したとするならば、あながち失敗も無駄ではなさそうな気もしてきます。
私は、ここから一つの「人生のための学びのヒント」が得られるような気がします。すなわち、熟慮の末に行動を起こし、失敗したら別のやり方を考えて再度やってみる。
思考 → 行動 → 再考 → 再挑戦…
闇雲に行動して失敗するのは論外ですが、こうしたプロセスを経ての失敗であるならば、それは本人にとっても周りにとっても、むしろ有益なことだと言えるのではないでしょうか。
そうした考えに乏しい自分を認識しつつ、少しでもそう考えられる人間になれるよう、有意義な失敗を重ねていきたいと思う今日この頃です。
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