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「認められたい」を原動力にすると自己肯定感は育ちにくい

文章を書く仕事、それこそ編集者という仕事をしていると、「(誰かに)認められたい」「(誰かを)見返したい」というモチベーションで文章を書いたり作品を作っている人をよく見かける。

その人たちは、総じて自己肯定感(もしくは自尊感情)が低い傾向にあるように思う。

その在り方を否定する気はないのだけど、とても精神的に不健康な、言い方を変えると自己肯定感が育ちにくい環境を自ら作り出しているように感じる。

自己肯定感とは、自己の価値や存在意義を肯定的に評価できる感情のこと。それを踏まえた上で考えると「認められたい」というのは裏返すと「認められていない」ということであり、いきなり自己の否定から始まっている。劣等感やコンプレックスを原動力にするのは、確かに大きなエネルギーを生むことができるし、負を正にひっくり返すためには大きなエネルギーが必要なこともあるだろう。しかし、それは常に負と向き合わなくてはいけないという意味でもある。でも考えてみると、自己肯定感とは負を正にすることではなく、負を負ではないと捉えられるようになることではないだろうか。

私見だが、自己肯定感は環境に左右される。

例えば、僕はいまだに親から自分の生き方を否定されている。「あなたには才能がない」なんて言葉、小学生の頃からずっと、何をするにしても聞かされ続けてもう聞き飽きてしまった。未だに「あなたには才能がないんだからどこでもいいから普通の会社に就職しなさい」と顔を合わせるたびに言われる。肉親からのこのような言葉を「呪い」と言ってしまうのは簡単で、親の愛情の裏返しなどと美化するに至ってはいくら何でも綺麗ごと過ぎる。

そうやって、子供の頃から自信というものを奪われ続けてきた自分にとって、自信を手に入れる方法は親に認めてもらうことだけだと思っていた。しかし大学に入学したり、社会人になったり、一人暮らしを始めたりと親の保護環境下から抜け出したときに初めて、自分の価値を自分で認められる気持ちが生まれた。

あんな環境で過ごしてきて自己肯定感が育つわけがなかった。

自己肯定感を高める一番健康的な方法は、環境を変えることだと思う。自己が否定される場所や劣等感が生まれる場所と距離をとり、自分のことを認めてくれる人や尊重してくれる人のそばにいた方がいい。中にはただ甘やかされているだけの環境もあるかもしれないが、それで自己否定感が低減するのなら、そんな場所も合っていいと思う。必要なのは「何かができない」「誰かからの評価が低い」ということと「自分には価値がない」ということを切り離すこと。

環境を丸々変えることができるならそれが一番簡単ではあるけれど、多くの場合、それは現実的ではない。それでも、環境を変えないまでも、増やす、広げることは可能なはず。自分にとっての安全地帯となる環境を増やし、心の拠り所を分散することで、自己肯定感は下がりにくくなるし、一方の場所で否定されたことが、また一方の場所では肯定されることもある。自分に価値がないから否定されているのではなく、その場所においては適切ではなかっただけ、と評価を切り離す。それを続けることで、自己肯定感はゆっくり、着実に育っていく。

他者からの評価に影響を受けない人が世の中にどれだけいるのだろうか。自己評価の基準がどうしても他者からの承認に依存してしまうのは仕方がない。ただ、「認めてもらう」や「見返す」といった他者からの評価を変えることは、自らコントロールできる事象ではない。コントロールできない事象に自己評価を委ねるより、自分を肯定できる環境を探すというある程度コントロール性がある事象に身を入れた方が、精神衛生上、良いことだなと思う。

もちろん「認めてもらう」や「見返す」ということを目標として設定することは、人それぞれ。目標としてだったら、自らのステージを上げるために機能するかもしれない。ただ、自己肯定感が低い人にとっては、横からステージの高さを比べるのではなく、上からステージの広さを知ることの方が効果的な気がする(例えが適切かどうかは自信がない)。人には向き不向きがあって当然だし、みんなができて当たり前のことなんて、環境によって変わるもの。もしかしたら単純に戦う場所やポジションを間違えているだけなのかもしれないし、戦う必要がないのかもしれない。

一つの場所に固執せず、多種多様な評価基準に身を置いて、何かに取り組んでみること。安全地帯からたまには外にも出てみて、「まだ早いな」と思ったのなら戻ればいい。ぬるま湯みたいな環境に浸かることを僕は否定しない。それに、ぬるま湯に浸かり続ける人って、それをぬるま湯だと気づいていない人が多い気がする。だって、ぬるま湯ってそんなに気持ちよくないでしょう。ぬるま湯だなって認識した瞬間が、その人が出ていくタイミングなのだと思う。

環境を変えることを「逃げ」だと言う人もいるかもしれないが、そういう人には言わせておけばいい。結局のところ、それも一つの価値観でしかないのだから。僕は別に逃げだとは思わない。

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