自分のことをASDと思い込みたかった

どうも違うらしい。
俺は離婚して見事子供部屋おじさんとなってしまった39歳のおっさんなわけですが、俺は自分がずっとASDじゃないかと悩んでいたんだけど、どうも違うらしい。共感性が高すぎる。
離婚した妻のその後の境遇に涙したり、その元配偶者からOOさんとのメッセージがないと社会との接点がなくなるといいながら心無いメッセージを受けていちいち心痛めてしょうがないからブロックするという人間臭い一面のあるただの男です。
親類にASDっぽい人がいるので、その人への対処としてASDの本を読んでいる。
そうすると、自分とは全く真逆の特性が表れていて、自分はあえて言うならASDじゃなくて、ただのコミュニケーション不足によるコミュ障なんだなという自覚がわいてくる。
39歳にして情けないけど、そんな実感を持った。よく考えたら比較的多くの人と友達になれるし、近所づきあいもできたしASD的要素皆無だなと思った。
ただ、労働環境における上下関係に生きづらさを感じていて、そこにASD的救済を求めて自営業に助けを求めて、結果自分をASDという枠に閉じ込めたに過ぎないんだなと思った。
よく考えたら、ASDが結婚したり、仕事したり、友達作ったりすることができるのはなかなか困難というか難しい気はする。
それは脳の構造的な問題であって、しょうがない面もあるけど、彼を見ているとそう感じる。

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