見出し画像

ホモ・エコノミクス誕生前の静けさ

 引き続き、ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』 2-1交換の働きから、第2章市場を前にした経済を読んでいきます。

18世紀の町の必需品:市

 カイティロン曰く、「町の特徴は市が存在していることにある」。これは、18世紀のヨーロッパだけではなく、中国、インドなどあらゆる場所でおきていた。この時代の生産・交換・消費は「基本的必要」であって、その土地の文化や暮らしに依存する部分は少ないからだ。

 また、市は、周りの村落地帯の働きによってこそ成り立ち、さらには、それらを「服従させることを可能にした手段だった」とブローデルはいう。工業製品の価格は上昇し、農産物の価格は下落し、その結果都市が勝利する。インドでは、税をお金によって支払う必要があり、この現象が加速したと考えられる。

冒険家である初代起業家の登場

 この仕組みを支える取引所活動、銀行と、その下部で自由に商いをする商人たち、その間の亀裂が顕在化し始めた。カンティロンを儲けさせたローの政治施策は、あっという間に泡となった。経済の上部機構が確立されることによって、資本主義、ホモ・エコノミクスが登場する。

 この時代の商人は、冒険家であり、遠距離の貿易家だった。アルメニア人とユダヤ人の2大ネットワークは世界中に広がり、海外の商売ノウハウを蓄積していた。彼らのみならず、商売で儲けたのは、国の追放者であり、それをせざるおえなくなった民達だった。彼らはfuorusciti、外へ出た人であった。

 1339年のジェノバの平民派政府を拒否して町をさった旧貴族達、スペインやポルトガルのマラーノ達、フランスの新教徒達は、生きる糧のために「遠距離商業」に関与せざるおえなかったのである。そして、稼いだのである。「不幸はすべてにとってためになる。」のか。

 商業余剰価値、供給か需要か

 そのころ、1649年に自分の楽しみのために世界一周をしたカレリは商業余剰価値を活用した。次に行く土地で求められそうなものを運んでいって、儲けてその繰り返しで世界を回ったのだ。「供給が需要を作る」というセイの法則は、果たして成り立つのか?当時の共有に間に合わない農産物の世界ではそうであったろう。しかし、これから訪れ兆しに見え始めた工業ではどうだろうか。

 どんな時も奢侈商品を求める消費経済は存在する。流行と奢侈は需要の要だ。その当時の動き始めた工業では、生産設備をした後に、商品が売れない悪夢をみる経営者がいた。想定した値段では売れなかったが、一旦値段が下がると、大衆が求め市場ができた。その時代の端境期がこの頃なのである。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?