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ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』 第3章 余裕と通常ー食べ物と飲み物ー

たらふく食べる贅沢

 東洋において5世紀に登場した贅沢な食卓は、ヨーロッパにおいては15世紀にもなってから、それもイタリアの裕福な都市だった。また、『贅沢』と言うことは、質は2の次で、『たらふく食べる』といことを意味した。つまり、15世期以前のヨーロッパには洗練された食事はなく、むしろ中国の方が料理の多彩さと言う意味では進んでいたのである。

 ヨーロッパの食事は、大量の肉、これが贅沢の象徴だった。そのころの保存の効かない肉を食べるために、香辛料を探し求めて高騰した。一方、中国や日本の食卓では、材料を一口大に細かく切った野菜や肉が提供された。ヨーロッパの食卓に野菜が登場するのは後になってからである。

食器と食事マナーの定着

 また、食事に使われる食器も少なく、大皿一枚で手掴みで肉を食べることが常だった。ナイフは共有、大皿の肉を削って皿に乗せ、手で食べたのである。後に、フォークが出てきて、各自フォークを所持することになった。フォークの使用が一般化したのは、1750年ごろにすぎない。

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水と嗜好品

 水は非常に貴重なものだった。特に雪解け水や氷は贅沢品だった。パリに水を供給する仕事で、2万人の人の生活が成り立っていたのである。ぶどう酒も食事に欠かせない物になった。その成功を収めた土地は、旧世界と新世界との中間にある大西洋の島々、代表はマデイラ島だった。ワインが世界に広がり、貿易と共に新世界から、チョコレート、コーヒー、お茶と新しい施工品がやってきた。

今は非日常になった手掴みで食べること

 IBM時代に、騎士の戦いをみながら、中世の食事を楽しむMetival Timesに行ったことがある。手掴みで肉を食べることを経験した。非常に困惑した。その時に、黒髪の騎士から赤い薔薇をもらった。一緒に行ったアメリカ人女性が懸命に手を伸ばして、その騎士から受け取ろうとした薔薇を、なぜか騎士が私にくれた。彼女からは、帰りの車で悔しがられたことを覚えている。


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