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ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』 第3章 余裕と通常ー住居・衣服・流行ー

 ブローデルの物質文明の中で、心躍るファッションの話。『選択するのは、選択できるのは、まことに莫大な特権だったのである!』と、彼が第2巻の最後で語っているが、私たちの日々の暮らしの選択が、未来を創ってきたし、これからもそうだと思う。

 先週から夜のニュース番組も忘れて、入り浸ってる新しいSNSの沸騰も、この一人一人の選択の結果なのだろう。その中で、これからのメディアを自らメディア人が議論し、多様な気づきがカオスのように出てきている。私としては、こんなエキサイティングな世の中にいることこそ僥倖である。

木の家から石の家、都市から農村へ

 さて、住居から見ていこう。住居の素材はその土地の素材でそれぞれだ。石が一番高価で、煉瓦が続く。その他、木や粘土が使われる。17世紀中旬までは、ヨーロッパにおいても木の家が主だった。その頃委相次いで起こった大火のために、街がより丈夫な素材によって急いで作り替えられた。また、都市の周りに広がる農村へ、都市で起こった贅沢が反映していった。

 家の外見は、木から石、煉瓦と変化していったが、意外に室内の基本は同じだった。違いは、部屋の家具、貧しい家には家具らしきものはなかった。

 室内の装飾は社会的意味づけのためにあり、機能性は二の次だった。そして部屋は、より広く、豪勢さを競うようになった。要するに、一つの大きな空間の中で、食事をし、語らい、寝たのである。機能が空間として区切られていなかったので、例えば、女性に会いに行く貴族は、家の隅々に知られ、プライバシーはないといった具合。

室内空間の機能分離イノベーション

 18世紀になると、そういった巨大な空間を機能ごと、社交用空間、権威誇示の客間、リビングに分けることで、利便性が増し、私生活の保護にも寄与したのである。ただし、私たちはその時代に行くと、衛生面では驚愕の事態となりそうだ。

 その頃は、高貴な人でも入浴は年に2回、ローマ時代の公衆浴場は度々の病気の流行ですたり、貴婦人の手も汚いが、足の裏は驚くほどだったという。また、食事の最後の処理場所(想像して)は、家の壁から飛び出した空間に創ってあり、アウトプットはその下の道に落ちる構造だったそうだ。街歩きは、さぞエキサイティングだったろう。

 流行は上流階級の差別化と自己表現

 農村でも、少しでも余裕ができるとファッションに費やす。絹のドレスや煌びやかな帽子を被り、日曜日には酒場に繰り出す。しかし、そんな風潮をなげいて、いくら贅沢禁止令を出しても効果はなかった。何か心躍る物が世に出ると、それらは『日常生活の舞台装置に組み込まれ』ていったのである。

 そうはいっても、衣服にはそんな変化もなく、各人同じような服を仕立て着ていた。13世期ごろには、肌着が現れた。そして、体にぴったりした短い衣服を男性が着るようになった。この時期が、流行が初めて出てきた時期と言える。この短いスタイルには、抵抗感も大きく、結局は民族的様式のモードに落ち着いていく。

 しかし、肌着がそれが一般の生活者に使われるようになるまでには、時間がかかった。それは18世紀ごろだという。その頃、やっと肌着が広まり、衛生面が向上し、病気も減った。

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 権威を保持する人達と技術革新

 反対に、既存の社会的位置を保持したい人達、教会や君主制にまるわる人々は、忠実に過去からの衣服を守り続けた。つまり、故意に時代の流れに逆らったのである。

 衣服の素材は、地域によって特徴があった。しかしながら、例えばインド沙羅の綿織技術は、やがて産業革命とともにイギリスでも可能になり、結局はインドの産業を破壊した。もちろん、ヨーロッパの女性たちは歓喜の涙を流したのである。

モードとは自己表現、贅沢は利他的自己表現

 モードは単に衣服に限ったことではない。『格言風辞典』によると、モードとは、『フランス人が、一層粋な、一層優美な、そしてしばしば狡猾なところを見せようとして、取りかえひきかえ無数の異なった仕方で試みる、服の着方・書き方・振る舞い方のこと』であるという。

 私のサービスシステム的レンズでは、贅沢(上品、じょうぼんと読む)は、作り手を理解しようとする自己表現、作り手と共創する価値共創。それによって、創られるモードは、私たちの選択の結果なのだ。つまり、『選択できる』ことこそが、『まことに莫大な特権』、贅沢なのでは?贅沢は、美意識、人の尊厳とも関連があるかもしれない。

 私たちの選択で表出するモードは、あらゆることに関わり、それぞれの文明の進むべき方向を決める。つまり、住居・衣服といった『事物』だけではなく、私たちの『ことば』、私たちの『日常生活の舞台装置に組み込まれ』ていくのである。『贅沢は、経済を支えたり促進したりする好手段ではないとしても、ある社会を把持し、呪縛する手段ではある。』

ファッションの未来:内(愛着)と外(環境)に広がる

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