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ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』 2-1交換の働き 交換の道具-1

 15世紀の市では、生鮮食料品、職人の手による製品、土地の売買契約、長期の賃貸借契約、贈与、婚姻財産契約、持参金の設定など、商店から公共サービスのやりとりが行われていた。その後、これらは専門化していく。

 売買の回数は、最初は週2−3回に制限されていた。18世紀には、毎日行われるようになった。地方の織物業者が、売れ残ったものを次の市日まで委託しておくのが通常になった。1660年ごろには、市場は仲買人、常勤事務員がおり、複雑な仕組みになっていった。

 商品を取り扱う場所にも決まりがあった。例えば、小麦はパリの中心から10里の圏外と決められていた。牧草だけで育った豚は、20里圏外など。都市の周りには、市場のためにそれぞれの産物が作られていた。

 例えば、イギリスでは、ジェームズ1世が『イギリスはやがてロンドンだけになってしまうだろう。With time England will only be London』と言ったと伝えられている。ロンドンの刺激を受けて作り上げられていくのは、『イギリスの生活の近代化』そのものだったのだ。

 そして、ロンドンの周りの地域は、専門化し、構造変化を起こし、市場、つまり商業に参加するのである。その頃のイギリスには、800の市があった。それらは、130が小麦、60が果物、90が牛、30が羊、30が魚、10が皮革製品など、それぞれの役割を持っていた。

 道路が再び自由に通行できるようになった1647年には、それらのそれぞれの商品を求めて移動した。このイギリスでみられる状況は、ヨーロッパの他の地域でもみられたのである。

 ロンドンで起こった商品の売買活動を、今日に当てはめてみると、コンピューターによるホワイトカラーの仕事の変革であろう。商品の売買の後にたどり着く産業革命、知的労働の生産性向上の先に見えるのは、自動化と新しい創造活動だ。中世の後に起こった製造業の発展、21世紀の終わりには、私たちの生活はどうなっているのか。アートが表面的なものから、本質に変わった様に、私たちの暮らしも、ものに溢れるのではなく、本質を極め楽しむ生活になっているかもしれない。

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