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儲け第一は世界を救うのか?

ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』 交換の働きから、第4章自らの両分における資本主義を読んでいきます。

大商人たちの誇り

 18世紀のヨーロッパは、大商人の絶頂期だ。フランスでは、「自分では手を下さず、自分自身ではそれに何も付け加えずに商品を売る」人のみを、大商人として特徴づける。その他の商人、つまり自らも働き「すべての手を用いて働く人々」とは区別をする。

 ただし、大商人は、機敏に商機を見つける起業家的な精神のみによって成り立つのではなく、ブローデルは「革新者が上潮の波に乗って運ばれ」るという面も強調する。この運ばれた者になるための条件はなんだったのだろうか。

資本家の成功は金に準拠する

 大商人として成功するためには、1.既にある程度の資金・位置を占めていること、2.経済の好況時にスタートすることは鉄則。加えて、3.金融資本はもちろんのこと、4.信用資産を保持することが重要だという。なぜなら、信用に基づく内輪の利息を伴わない信用貸しの生産性なくしては、成功はおぼつかないからだ。

 この「信用」取引は、古代キリシア、ローマから存在していた。しかし、この信用が制度として根付くのは、19世紀を待たなければならなかった。過去、3度のチャンス(1300年前後のフィレンツェ、16世紀後半のジェノバ、18世紀のアムステルダム)があったが、いずれも失敗した。動き回る商品・現金・信用のシステムを安定に運用するための基礎となるルートやルールが成熟していなかったのだろう。

経済発展の新しい指標:資本

 これまで、経済情勢は、賃金、物価、生産に基づき計算されていた。この資本主義の登場とともに、これらに加えて、金融資本、金銭の流通にも注意を払う必要がでてきた。

 ヨーロッパの第一級の地位に上り詰めたフィレンツェを見ていこう。フィレンツェに、11世紀に登場した大商会は、豊富な現金と信用を築いた。そこから、彼らのネットワークの効率の良さと力が生まれ、イギリス王国の信頼を勝ち取った。それによって、イギリスの羊毛を一手に握り、フィレンツェの羊毛組合に必要な羊毛を得ることができ、大きな利益につながった。

 しかし、この銀行業、大商会の繁栄は、イギリスの債務とフレンツェの大金融業者であるバルディ家の破産によって終わりを告げた。その後の黒死病が追い討ちをかけた。しかし、その後も大商人たちの挑戦は続く。「不動産は池でしかないが、これに反し商業は泉である」とは、デフォーの言葉だ。

資本主義的精神

 しかし、資本主義は歴史に翻弄されたというわけではない。むしろ、資本主義は活動の領域を自ら選ぶ能力があり、それを実行したのである。その戦略の源泉は、位置的特権と情報の非対称性の活用だ。

 資本主義の精神は、「儲け」の正当化だ。位置的特権を駆使した「遠隔地交易」は、ある意味当たりくじのような賭けだった。大商人たちは、職人と、彼らが欲する原料の間に割り込む。そのリスクをとり、桁違いの利潤を得るのだ。

 その人の移動を拒む距離が、もう一つの特権である情報の非対称性を作り出す。遠距離の移動をしないと得られない情報を、大商人たちは独り占めして活用するのだ。この「遠隔地交易」は情報ソースであるとともに、効率性の上でも旨みがある。すなわち、リスクを取るために得られる大きな利益は、彼らに集中していくのだ。

 この成功は、単に儲けのためだけに投機的だったわけではない。実地学習、実用的知識の蓄積の賜物だった。それに加えて、十分な資本、市場における信用、良い情報網と人間関係、戦略的地点における協力者を持つことが必要だった。そして、常に利潤が極めて高くなる場所を求めて、自ら戦略的に移動し続けてきたために、これまで資本主義は生き延びてきたのである。

起業家の求める儲けは倫理と両立するのか?

 デザイナーは他の人に良いものを作ると、クリッペンドルフはいう。一方、ここに描かれる新事業のデザイナーである起業家は、儲けのためにはなんでもしそうである。例えば、独占、買い占め、値段の吊り上げ。

 しかし、それらの行動は何がイノベーションなのか?何が新しい技術なのか?何が新しい価値観なのか?歴史には、それらを計画して、うまくいった場合と、失敗した事例がある。人としてどう生きるかまで考えれば、釣り合いが取れるのかもしれない。


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