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無理しない「極楽」イタリアの秘密は歴史的な階級意識

 今回はランベッリの「イタリア的考え方 日本人のためのイタリア入門」の第3章「極楽」イタリアの日常生活です。

近代と現代の仕組みを保持するイタリア

 第1次世界大戦を契機に、分かれていたイタリアが統一された。その後、ファシズムのムッソリーニがイタリアをまとめた。現在のイタリア共和国になったのは第2次世界大戦後、割と最近のことである。それは、まさに「イタリアを作る」活動だった。その中で、近代まで続いた「支配するもの」と「労働者」の階級意識と、ポストモダン的な世界が共存しているのである。

 これまで長い間、それぞれの地域への所属意識が強く、その特色を大事にしていたイタリアは、統一の動きとともに均一の「イタリア人も作らなければ」ならなかった。そのため、高校までどの地域でも同様の内容を教える統一教育システムを導入した。高校は、大学へ行くことを目的とするもの、就職、教員になることを目的とするものに分かれる。一方、日本とは異なり大学入試はないが、卒業のためには試験があり、それなりの厳しさだという。就職すると、プロレタリアの労働者と、ブルジョアジーの事務職で給料も階級意識も異なるという。

一人前の男子になるための徴兵制度

 徴兵制度はイタリア男子にとって、未成年期から成年期への通過儀礼だという。慣れ親しんだ局所的な共同体からイタリアという国への参加を果たす象徴だ。一方、女性は、家で国を守るという役割を持つ。この両者の役割の違い、女性蔑視を温存する仕組みが存続しているのだ。ちなみに、徴兵制度は2005年に廃止された。

歴史的な階級意識が作る独特な仕事感

 経営側と雇用側が歴然と分かれている中で、雇用側が獲得したのが「自由時間」だった。従業員は、会社のトップを豊かにするために働く。働くのだが、あくせくするわけではない。むしろ、自由時間でもなければ、働く気にはならないというのだ。

 歴史を遡ってみれば、ブルジョアジーが社会的地位を獲得することに重要だったのは、流通業、商店だった。彼らは商品を運び、売ることで、貴族に対抗するまで豊かになったのだ。そのことを考えてみると、商店の店員には、お客さまは神様という考えはなくて当然なのかもしれない。

日本との違いについて考える

 日本が近代化の中で、知識・技術偏重路線をとり、過去の階層、社会の仕組みを破壊する中、イタリアは過去と現代の共存を選択した。

 過去を簡単に捨てなかったのは、地域の多様性を保存することに役立ったのではないか。イタリアの都会を離れた村を訪れてみると、それぞれ美しく、威厳を保っている。

 一方、日本では近代化によって表面的に同一になることを選んだ。その結果、それが実現した都市と、そこまで変わらなかった地方が、同じ尺度で比較されるという弊害を感じる。同じでなくていいんだ、それぞれの特色を愛でることが、地域に彩りを与えるのではないか。

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