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イタリア的考え方はまだなぞ

 今回からランベッリの「イタリア的考え方 日本人のためのイタリア入門」の序章 憧れと拒絶 第1章 幻想のイタリア 第2章 パットワークの国イタリアです。

ナルシストのイタリア、カッコつけのジャパン

 う〜ん、要するに、イタリアを一つのイメージで捉えるな!そもそも一つの民族でもないし、他所からの人も仲間にするし、そんなに単純な話ではないと。ただし、発行年が1997年で少し現在と状況が異なるのかもしれないと思う。
 彼が第一次イタリアブームであったという1980~1990年代、ちょうど日本ではホイチョイの「見栄講座」とかいうデート講座本があって、レストランなどの情報も。もちろんイタリアンレストランもあった。青山のサバティーニは大学生のデートで賑わっていたのでは。こういった経験からすると、彼のいう日本人のイタリアの理解が浅いというよりも、日本人におけるイタリアの位置付けが、イタリア人から見て違和感があったというのが、真実ではないか。日本においては、イタリアを理解するというよりも、イタリアは飾りとして役にたっていたのだ。
 とはいうものの、2章まで読んでもイタリアの謎は深まるばかり。イタリア愛があまりにも強いためか、伝わってきませんよ、ランベッリさん!

偉大なローマ時代と比較しないで!

 西ローマ帝国(これ、東ローマ帝国はイタリアと関係ないっていうこと?)が滅んでから、イタリア地域には多くの民族がやってきたし、今のイタリアとは異なるとランベッリはいう。哲学や都市国家のギリシャに対して、制度のローマ、それでスケールアップした。ただし、ギリシャに比較して、キラキラ度は低い。
 挽回は、ルネッサンス。なるほど、ローマよりもフィレンツェは今も街を歩くとうきうきする。イタリアは大都市よりも、地方都市にそれぞれ特徴があり、見所があるらしい。さらに、地方ではそれぞれの方言が残っているらいし。イタリア人は、共通語よりも自分の生まれ故郷の方言で心の奥と繋がっていて、なかなかそれを捨てることはできない。
 イギリスに住んでいた時に、イタリア人とスペイン人と一緒にご飯を食べることがあったが、彼らは母国語でだいたい意思疎通ができるときいて、便利だなと感心した。それなのに、イタリアの方言がそんなに違うなんて。まだまだイタリアの謎は深まるばかり。。。

次回に期待!イタリア人的思考の解明

 ということで、今回の2章ではピンとくるところまでには行かない。これは、少し時代背景が変わってしまったためなのか?次のところを楽しみにしている。

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