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市場経済は資本主義の必要条件

 ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』 交換の働きの最終章、『社会あるいは「全体集合」』を読んでいきます。

階層のない社会は存在しない

 生産から富が蓄積される社会は、「階級の葛藤」と共にある。階層は、「富」と「権力」によって区分される。

 11世紀以降登場した都市の基礎には、分業があった。富を蓄える都市部と、その生活を支えるために生産する周辺の村。生産物を、それらを欲している人々に届ける商人や市、そこで力をつけてきたのが大商人だ。

 都市の最上部には、王・貴族ら特権者がいる。彼らは、権力、富、生産の余剰を蓄積し、奢侈三昧な暮らしを楽しむ。封建社会では、その上層に養われて、生産する民が多くいる。長らく続いた農業を基礎にした生活も時間をかけ生産性が上がり、農村で抱えきれなくなった人々は、都市に紛れ込む。そこで、運良く仕事を得て暮らすか、他人の恵みで暮らすこじきになるしかない。

 新しく登場した商人は、そのうち自分では手を動かさない大商人となり、上に聳える名誉に至る階段、より大きな権力を求めて動く。

ブルジョアジーの次の階段

 経済的な力を身につけた商人たちは、貴族の資格を買う。それによって、新貴族となるのだ。そして、王の周りの官職を得ていく。その当時、旧来の貴族階級がまねいた国の経済難のために、貴族入りを狙う大商人達には「法服貴族」という道が開かれた。

 貴族は、自分の持つ経済力にかかわらず、奢侈な生活、つまり自ら手を下さず、高貴な暮らしを求めてしまう。そのための生活の糧は、民から搾取し、自分らは巧みに色々な責務から逃げることで賄う。一方、ブルジョアジーと呼ばれる新貴族は、自分の経済力を把握し、それに合わせた生活を心がける。旧来のやり方ではない方法で工夫し、効率よく仕事を回す。この商人から生まれた新貴族らが、資本主義の主役となるのである。

新貴族による社会の救済

 国家の任務は、自らの利益のために民を服従させること、直接・間接的に経済を監督すること、文化的活動を保持すること。しかしながら、その当時の国家は、経済を監督することができておらず、潰れる寸前であった。ここに、事業経験を持つ新貴族が入りこみ、税収などの仕組みを作り上げた。

 新貴族の官職らは、国の仕事のみをするのではなく、自分自身のビジネスも同時に行った。彼らは海外に広がるネットワークを活用し、新しい制度を導入した。新しく登場した新貴族は、アンシャンレジーム、旧体制の王の財政を立て直すという役目を得たのである。面白いのは、彼らは国に養われるのではなく、自分のビジネスも同時に行っていて、自立していた。

市場経済とその土地の風土が育む資本主義

 ヨーロッパでは、封建制度の中で新しいアクター、商人が登場し、彼らの活躍とともにその生活空間の上層部に資本主義が現れた。お金、紙幣、信用といった経済の仕組みが、それらを加速的に拡大した。

 同様の流れが足利時代の日本にもみられる。徳川時代に鎖国されるまで、商人は都市で世界とつながり取引をし、政治にも影響を与えた。一方、隣国の中国をみてみると、そのような変化はなかった。国家制度が強く、管理されており、自由な商人が登場しなかった。市場経済は、中国にもあったが、それは単なる必要条件で、それだけでは資本主義の十分条件ではないのだ。

 この商業文明は、元を辿ればイスラム世界から受け継いだものだ。それが、イタリアのフィレンツェで育ち銀行が生まれた。ちょうどそこに、それが根付く状況があったのだ。自由で挑戦できる風土、それをやり切る人々といった、資本主義を育む状況がない場所・時代には、登場しないか、違うものとして現れるのである。

 次回はいよいよ第4巻『世界時間』に突入です。

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