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『イタリア的:「南」の魅力』ファビオ・ランベッリ第1章食にみるイタリア

 ブローデルを一休みして、ランベッリの『イタリア的:「南」の魅力』を読む。そういえば、2019年にイタリアに行ったことを思い出す。フィレンツェで入ったレストランの生ハムの量に驚いた。この生ハムも、パンもイタリアの食の文化に必須のシンボルなのだ。

イノベーションによる食の変化

 ブローデルによると、中世まで人口が増えると食べ物がなくなり貧しい生活を余儀なくされた。ランベッリも、最初小麦をそのまま焼いて、砕いて食べていたという過去のエピソードを語る。その屑をお湯に入れて煮たものが貧困の象徴であるスープとなる。
 小麦をそのまま食べるのではなく、粉にすることで保存もでき、さらに無発酵のパンを作ることが可能になった。また、ビールの酵母が混ざることによって、発酵パンの登場だ。猪の家畜化、塩漬けによる貯蔵された生ハムは、パンと共に重要なタンパク源だっただろう。この何重ものイノベーションのお陰でイタリアの食は徐々に豊かになる。

大航海がもたらしたマルゲリータ

 イタリアを代表するトマトソース、しかしヨーロッパには、もともとトマトもガーリックもなかった。それらは、荒海に繰り出した挑戦者たちが持ち帰った新顔だった。トマト、ガーリック、ポテトなどが登場したのは、16世紀以降だったのだ。その頃、生まれながら豊かな生活が保証される貴族と、それ以外の働き手の間に、機敏にチャンスを掴むブルジョアジーが登場し、近代化の準備が整った。
 1861年のイタリア統一の後に、ペッレグリーノ・アルトゥージはイタリア半島のレシピを集大成し、『台所における科学、あるいは美味しい食生活の芸術』にまとめた。それが、各地の食を脱コンテキスト化し、コード化されたレシピによって、イタリアの食を近代化させ、新しいイタリア文化を作ったのだ。そこに書かれた象徴の一つ、トマトソースのレシピなしにはピッツァの代表マルゲリータは生まれなかった。この書籍は、各地の料理を広く広めたと同時に、再コンテキスト化、クレオール化も引き起こす。

人の移動で広まる近代イタリアのシンボル、ピッツァ

 面白いことに、17世紀にナポリで生まれたピッツァがナポリ以外で広く食べられたのは、アメリカだったという。イタリア統一前の混乱期に多くのイタリア人が北米に移住した。その後、イタリア国内や各地への出稼ぎによって、ピッツァはヨーロッパに広まった。そのため、イタリア料理には、移民の差別的なイメージが密着してしまった。
 一方、ピッツァの前身であるパンは、神と結びつき神聖なシンボルとして扱われる。また、イタリア料理のコースは、貴族の食生活を見習い、通時的にお皿が運ばれる形式だ。アメリカによくあるワンプレートや、中華料理のような順番に関係なくお皿を囲むことはない。食の変化の中にも、変わらない部分と、変わる部分があるのだ。

イタリアの「楽しさ」、と日本の「和」

 序章でランベッリは、イタリア人のアイデンティティについて語る。それは、「悪いことを外部に見せない、楽しいことだけみせる、という特徴」だという。これを読んで、日本と似ていると感じた。しかし、日本は悪いことも「楽しさ」も見せずに、「和」を示す。ただし、時折それは表面的な繕いであることも多い。隣の韓国はどうだろうか?年末のI社関係者の忘年会で、彼の母親世代の韓国人は、内面の苦しさを隠せなくなった時には、道に座り踊るように心情を吐露するらしい。日本より少し健全ではないか(その習慣が今の韓国のミュージック界の躍進の理由の一つであるらしい)。
 イタリアの心の闇は、時折絵画に現れる。日本では、滑らかな日本画を見ていると、到底外部からは見つけずらそうだ。イタリアのもう一つの特徴として、対局の要素を含むことが挙げられる。個人主義と国家、カーニバル性とユートピア性の両方を併せ持つ。そのため、内面も多様に観察し、アップデートすることができるのかもしれない。
 一方、日本はどうだろうか?和、気配で取り繕う表面の統一感が、どこかで破裂するのではないかと心配になる。最近は、簡単に和に向かうことのできない複雑な状況が多い。このような状況の打破の糸口は、長年実現できていない「対等な関係の対話」にあるのではではないか。引き続き考えていきたい。

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