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イタリア語でも日本語でもラブソング

 今回は、『イタリア的:「南」の魅力』ファビオ・ランベッリ第3章歌うイタリアです。イタリアのプップス、初めて聞きましたが、大瀧さんNiagara Triangleを思い出しました。その比較について書いてみよう、っと。

自分を愛するイタリア男子のラブソング

 1970年代以降のイタリア人の感性を表していると言われるClaudio Baglioni - E tuを聞いてみよう。

『しゃがんで海の声を聞きながら ずっと息を吸わないままでいた。
ぼくは、指で君のプロフィールを追い、風は穏やかに君の服を撫でた。
そして、君、眼差しの君、無邪気な笑顔の君
そして、僕、素足の僕、君の髪の毛に軽く触れていた。
蟻一匹と遊んでいて
目を閉じて、何も考えないままでいた。』

 日本の歌と違うのは、主語がいちいち入る、僕、君。上記は、歌詞の始まり部分。現実的な描写が主で、2人の人物以外の記述が最小限。彼女は、無邪気、まるでマリア様のような現実味のない人形のような扱い方。自分は何気なく振る舞っているけど、実際は?というところが可笑しい。
 後半部分は、好き、欲しいと行動表現のオンパレード。自分は人間的、君は象徴的に表現していて、次に紹介する日本のラブソングと対照的な表現だと感じた。

自分の心を景色に語らせる日本のラブソング

 次に日本のラブソング、オリーブの午后。

『青い葡萄を口に投げ入れたら、海に浮かぶ岬まで走ろう
これで2人きり、うるさい奴等をまいて
君は葉陰で水着に着替えるし、焼けた肌を太陽が見ているよ
夏の要請が、ビーチへかけおりてゆく
いい景色だね

何もいらないよ、君が横にいればいい
丘の斜面には、ライムの花とクローバー
時を抱き寄せて、海はコバルトに光り、君を照らした』

 僕は、この中で主体ではなく、そこにあるものたちが僕の心を伝える、婉曲的な表現。同じアルバムの夢見る渚では、君はリアリティのある人として描かれる。

『白いヨットパーカー まぶしくて話しかけた時
ヘッドホーンで聴いてた君の 大声の返事に笑ったよ』

日本の君の心を語らせたら

 車の中で聞くと、ユーミンの歌詞にドキッとする。今回のイタリアの歌も興味深かったけれども、やっぱり恋の歌といえばユーミン。

『あなたを思い出す この店に来るたび
坂を上がってきょうも 一人で来てしまった
山手のドルフィンは 静かなレストラン
晴れた午後には遠く 三浦美咲も見える
ソーダ水の中を 貨物線がとおる
小さな泡も恋のように消えていった
あのとき目の前で 思い切りかけたら
今頃二人 ここで 海を見ていたはず

https://www.youtube.com/watch?v=6Wbpm2UYTEE

 久しぶりにラブソング、いいですね。

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