ヨーロッパ学入門10章 近代(前衛)の試みと女性芸術家


社会変革中で生まれた芸術至上主義

 ルネッサンス・宗教改革時代にもたらされた西洋美術の形成によって、3次元を2時現に実現する手法『遠近法』がもたらされた。キリスト教や王侯貴族によって支えらた絵画文化と技法がヨーロッパ中に広まった。

 19世紀中からフランスを中心に起こったブルジョアから大衆へ社会変革とともに、絵画は『市民社会の芸術』として、中上流市民の教養となった。これまで、教会や王侯などからの発注によって絵画の内容が決められていたのに対して、描き手である『画家の自由裁量』に変化した。それによって、『芸術は何かに奉仕するのではなく、芸術のためにだけある「芸術のための芸術」』という芸術至上主義が生まれた。

写真技術の登場により目的の再定義を余儀なくされた?

 この動きには、社会変化と共に、産業革命、急速な技術開発も関連しているのではないか。写真技術の普及によって、絵画は目的の再定義を余儀されなくなったのではないかと推測する。つまり、3次元を2次元に表現するだけでは十分でなく、『芸術家』自身の視点、価値を問われたのだ。

新しい表現で日常を美的再構成

 神話ではなく、市民が主役の絵画とはどのようなものか?時代の流行:モード、日常生活の移ろいゆくものに対して、美しいと感じる感受性が画期的だったのだ。マネの「草上の昼食」は、日常生活の情景にこれまで神話として許された裸体を描いた。同じモデルの「オランピア」では、浮世絵の技法から影響の伺われる2次元的に人物を描いた。描かれる題材、『何を』をいまに変え、過去の技法を否定し新たな表現方法を追求していったのである。

 その後の印象派では、『どのように』の手法を革新した。20世紀になると、画家の感覚や内面の衝動、主観的感情の表現でオリジナリティが競われた。また、目に見えるものだけではなく、キュビズムなど対象を分解し、頭で再構成した作品も現れた。さらに、戦争を契機に社会運動的な「反芸術」をスローガンにあげたダダ、その後分裂したシュルレアリスム超現実主義が現れた。

社会のためのインダストリアル・デザイン誕生

 そのころのデザインの歴史を見てみよう。19世紀終わりに、工芸品は工業製品とは一線を画さなけでばならないことを基本に、アーツ・アンド・クラフツ運動が始まる。モリスらの工芸復興運動だ。19世紀末から曲線を持った装飾が大流行し、フランスでアール・ヌーボーと呼ばれた。ドイツでは、第一次世界大戦後、芸術と技術の統一を目指したバウハウスが立ち上がった。近代工業社会の問題に立ち向かうデザインの総合運動として、近代デザインの方法論の形成に影響を与えた。 

 一方、アメリカでは、いち早くデザイン・アンド・インダストリーへの動きが見られ、インダストリアル・デザインは豊かな社会のために役立つビジネスとして位置付けられた。インダストリアル・デザインの発祥の地はアメリカだという。

 アメリカのインダストリアル・デザインは、大量生産と大量消費の中で急速に発展した。そこには工芸の近代化のプロセスは存在しなかった。世界大恐慌時には、企業を再興するためにデザイナーに焦点が当たった。工場で働く従業員、ベルトコンベアーで作られる自動車、空にそびえる摩天楼。産業革命は、私たちの生活や、そこで使われる工業製品だけではなく、都市空間を変えたのである。

 美術史とインダストリアル・デザインの誕生

 積み重ねられた技法の変化や、新しい領域の誕生は、歴史の事象と、そこに住む人々のエネルギーが関わっている。産業革命後に生まれた近代芸術の流れや、インダストリアル・デザイン。伝統的な遠近法から新たな表現方法への挑戦、そこにはアジアの影響、新しい美の発見が起きた。デザインにおいては、工業化への反発から、クラフト復興、その先を見通したモダン主義の兆し。芸術家やデザイナーが生み出した新しい概念、アプローチ、意味付けが、人を驚かせ、新しい流れを創る。社会との関わりがあるからこそ、そこに挑戦があるからこそ、新たな美が生み出されるのだ。


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