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ルーキーズと研究、ライ麦畑でつかまえて

 今日『知の逆転』という本を読んだ。『銃・病原菌・鉄』の著者ジャレド・ダイアモンド、生成文法を提唱したノーム・チョムスキー、『レナードの朝』や『妻を帽子と間違えた男』の著者オリバー・サックスなど錚々たる面々のインタビュー集で、ざっくり言えば、世界は今後どうなるのか、教育はどうであるべきか、インターネットが普及する中で社会はどう変わっていくか、という未来のについての意見を、これら偉人たちに聞いてみた、という内容だ。出版されたのはもう10年近く前だが、色々と考えさせられた。

 その全体としての内容はさておいて、本の最後に登場したジェームズ・ワトソンのインタビューが少しショッキングだった。ワトソン博士とは、DNAが二重らせんであることを発見しノーベル賞を受賞した、あの偉大な生物学者だ。僕は実はワトソン博士について、二重らせんを発見した人、ということしか知らなかったのだが、本を読むと(そしてWikpediaで調べると)、この発見の際まだ彼は20代で、その後はハーバード大学の生物学専攻の教授として学部を分子生物学中心の研究所に塗り替え、次にニューヨークのコールド・スプリング・ハーバー研究所の所長、会長を歴任、併せて1990年前後にはNIH(国立衛生研究所)の国立ヒトゲノム研究センター初代所長を務めた、とある。正に20世紀の生物学の方向を規定し、牽引してきた立役者と言っても過言ではない、本当にすごい人だ。

 そして、これも僕はよく知らなかったのだが(黒人差別の発現を繰り返しているのは僕も知っていたが)、彼は毒舌でもよく知られている様だ。

 その歯に衣着せぬ発言はこのインタビューでも健在だ。例えば、「人の才能や適性は16歳くらいでもう見極められる。その時点で才能がない人間にいくら英才教育を施しても無駄だ、リーダーシップについても同じで誰もがリーダーになれる訳ではない」とか(彼の業績と、その後彼がどれだけ世界的リーダーシップを発揮してきたかを考えると、この発言の意味が分かる)、「自分が成功したのは、よく読み、よく考え、よく知っていたからだ。知識と判断の力で勝つ、というのがモットーだ」などと豪語されている。

 このような人物が、実際にここ50年間の生物学を動かしてきた、という重みがあるのが、僕は正直悲しい。だってそのことは、彼のやり方が正しいことを何より証明しているようだから。

 一方で、僕はこの人とは正反対の人間でいたいと思っている。才能がなくても、あるいは死に物狂いでrat race(仕事での成功や社会的地位などのために競争するのに忙しくて、くつろいだり人生を楽しんだりする時間がほとんどないような暮らし方のこと。Berlitzより)に身を投じなくても、良い研究はできるのだと信じたい。もちろん人間の可能性なんて16歳で推し量れるはずもないと思う。

 いや、現実には、ワトソン博士ほど強くなれない自分がまずあって、そんな自分でも研究をする資格はあるし、実際に意味のある研究もできるはずだ、と思わないと、きっと自分自身を肯定できないのだ。

 そして研究室を主催し始めたばかりの新人PIとして僕は、自分に優しく他人に厳しく、なんていう生き方ができない以上、若い人に対してもできるだけ寛容に接しようと心がける。実際には、部下に厳しく接し、夜も日もなく働いてもらった方が、僕にとっては遥かに楽なのだが。

 だから、僕はある意味実験的な研究室の運営の仕方をしているのだ。これで本当に成り立つものなのかどうか、と。その結論が出るのはまだ何年も先だ。妻はそんな僕を見て、ルーキーズの川藤先生になぞらえる。僕も漫画は好きだけど、どちらかというとここはサリンジャーを思い出して、ライ麦畑で落っこちそうになる子供をつかまえるような、そんな生き方を理想だと言い続けたい。

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