見出し画像

糖尿病研究と癌研究とを比較してみて

 先日、代謝関連のある研究会に参加したところ、ほとんどの演題は癌に関するもので、糖尿病に関する発表は全体の1割にも満たなかった。普段なかなか聴く機会のない研究内容に触れられ刺激的に思った一方で、糖尿病の研究はこれで良いのだろうか、と疑問が湧いたのでこの文章を書くことにした。

 僕は糖尿病の専門医だが、基礎研究に関わる様になって既に20年近くが経ち、今では仕事の軸足を完全に基礎研究に置いている。この20年、糖尿病の基礎研究の分野ではいくつかの画期的な発見があった。例えば肥満が低いレベルの炎症を起こし血糖を上げてしまうこと、全身の臓器は神経やホルモンを介してお互いに連絡しながら血糖が決まっていくこと、小胞体ストレス、酸化ストレスに関する研究などがそれに当たるだろう。発見の多くは米国やヨーロッパから報告されたが、日本の研究者も少なからず貢献している。こうした知見が糖尿病研究の潮流を形作り、皆を率いてきた。僕もそれを見て刺激を受け、次はどんな研究をしようかと思い巡らせ、研究を続けてきたし、結果としてある程度インパクトのある雑誌にも論文をいくつか発表できた。その歩みは少しずつ糖尿病の発症機構の解明に近づくものだと信じていた。

 でも本当にそうだろうか。告白すると、信じていたというより、余り考えていなかったというのが実際だ。まだ誰も見つけていない新しいものを見つけて発表しよう、とか、せいぜい〇〇の原因はまだ分かっていないから調べてみよう、という程度で、正直自分の功名心と興味だけで研究を続けていた。

 一方でこの20年、糖尿病治療、つまり患者さんにとっての実臨床はどのくらい進歩しただろうか。大きな流れとしては、糖尿病は血糖さえ下げれば良いと考えられていたのが1980年代、その後それだけでは網膜症や腎症は予防できても、動脈硬化が予防しきれないことが判明した。より厳格な血糖管理が必要ではないかという理念の下に行われた大規模臨床試験の結果が2000年頃次々と発表され、実は厳格すぎる血糖コントロールは低血糖を起こしかねず、却って患者さんの予後を悪化させることが分かった。このことを踏まえて、DPPIV阻害剤やGLP-1関連薬など、低血糖を起こさない血糖降下薬が糖尿病治療の主流になった。数年前にSGLT2阻害剤という尿糖排泄促進薬が使われ始め、今年に入って発表された大規模臨床試験の結果から、GLP-1関連薬と併せていよいよ動脈硬化の予防効果を臨める治療薬ではないかと期待されている。

 僕はこの間(留学期間を除いて)臨床医として患者さんも見てきたが、悲しいことに、ここ20年の世界中のトップレベルの研究者による全ての糖尿病の基礎研究を見ても、この糖尿病治療の進歩の歴史に何の貢献もしていない。そう言わざるを得ない。

 これは癌の研究と対照的だ。癌の分野では、分子生物学の進歩と歩みを一にして1980年代後半から重要な分子が次々と明らかになり、1990年代にはいわゆる分子標的薬の開発が始まり、2000年に入って分子標的薬による個別化治療が主流となってきている。癌の研究は基本的に人の疾患と直結した形で行われていて、またそれを可能にする研究手法がどんどん手に入る様になってきている。例えば」iPS細胞を使った研究もそうだし、オルガノイドの作成もそうだ。

 この違いは何に由来するのだろうか。

 一つには、そもそも癌に比べて糖尿病という疾患が既にある程度治療可能な病気になっている、という側面が大きいのではないだろうか。癌は今でも多くの場合不治の病で、その治療が今100点満点で30点くらいだとすると、糖尿病治療は正直80点は取れるくらいまで進歩しているだろう。糖尿病があっても患者さんは十分長生きできるし、どんな治療であっても外来に通ってもらえさえすれば昔の様に失明や透析などで苦しむことは少なくなっている。そして80/20ルールというのを持ち出すまでもなく、80点を100点にする労力というのはそれまでの労力の何倍にもなるのが普通だ。

 あるいは、糖尿病という疾患の複雑さも考えなければならない。癌はその本体が単一の変異した細胞の無限増殖なので、基本的に単一の細胞を相手にすれば事足りる(微小環境や転移先の臓器という要素もあるにはあるが)。一方で糖尿病において血糖を決めるのは脳、肝臓、膵臓、筋肉、脂肪組織からなるネットワークの複雑な相互作用だ。そのため、研究を培養細胞や単純な実験系に落とし込みにくいし、逆に落とし込んでしまうとその成果は病態の一部しか反映しないものとなってしまう。さらに患者さんの血糖は食生活や運動習慣という客観的に評価しにくい要素によって大きく修飾される。

 これらを踏まえて、今、僕らは何をどう研究すべきなのか。例えば時流に乗って、複雑系を複雑系として研究していくAIを応用した臨床研究はありだろう。そこでは患者さんの摂取カロリーを客観的に評価できる装着デバイスなどが出来たら非常に役立つ気がする。一方で、今僕がやっている様な基礎研究に未来はあるのか? それを続ける価値はあるのだろうか?

 無いとは言わないが、優先順位は高くないかもしれない(この意味で政府の予算配分は正しい)。そんな時思い浮かぶのはマスターキートンが言っていた、学ぶのは人間の使命だ、という言葉で、研究は正直面白いし、糖尿病の治療が十分進歩していると言っても、まだまだ分からないことは沢山ある。それが人の役に立つか立たないかは100年後の人にしか分からない、という開き直りが自分を救う一つのスタンスだ。リソースの使い方としてそれで許されるものかどうか自信はないが。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?