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シカゴ

さて、どっちのシカゴか。

まず、ミュージカル。

米倉涼子のブロードウェイ・デビューは、
なかなかセンセーショナルだった。

彼女が雑誌CanCamモデルだった頃、
僕は彼女と仕事をしたことがある。

当時は、若手のモデルに人気を奪われつつある、
ベテラン・モデルとしての風格はあったが、
まさかミュージカル・スターになるとは、
夢にも思わなかった。

ボブ・フォッシーは、多才だ。鬼才とも言われる。
元はMGMのダンサー兼振付師だったとか。
日本ではあまり馴染みがないかもしれない。

66年に演出、振付したミュージカル、
「スイート・チャリティ」初演、
69年に映画化の監督をしている。

60年の名画「アパートの鍵貸します」以来、
長く活躍するシャーリー・マクレーンが主演。

日本では2016年に、先に書いた上島雪夫が、
演出、振付をして上演している。

ミュージカル映画「キャバレー」で72年、
アカデミー監督賞を受賞するが、
ミュージカル「シカゴ」は75年に初演され、
脚本と振付をした。

79年に自伝的ミュージカル映画、
「オール・ザット・ジャズ」で、
カンヌのパルム・ドールを受賞する。

彼は87年に、60歳で急逝するが、
96年の「シカゴ」再演が大ヒットする。

「オペラ座の怪人」「キャッツ」に次いで、
ブロードウェイのロングラン記録を更新中だ。

2003年、ロブ・マーシャル監督によって映画化され、
アカデミー作品賞を受賞する。

亡くなってから、ますます輝く芸術家として、
20世紀を代表する一人である。

次に、バンド。

ブラスを取り入れたジャズ・ロックで、
長きに渡って活躍した。

ピーター・セテラのヴォーカルが、
デヴィッド・フォスターのプロデュースで花開く。

人気絶頂だった85年に、ピーター・セテラが脱退し、
ジェイソン・シェフが加入する。

ここでダイアン・ウォーレンが楽曲を提供し、
新生シカゴはまた黄金期を迎えた。

アルバム「TWENTY1」は、1991年に発表され、
「Chasin' the wind」がシングル・カットされる。

ビル・チャンプリンの力強いヴォーカル。
もちろんダイアン・ウォーレン作曲だ。

92年、僕がリーダーを務めた、
ダンス・ミュージカル自主公演の、
クライマックスで踊ったナンバーだった。

構成から脚本、選曲、振付など、
全部自分たちで毎晩話し合った。

この曲は、生命が生まれるシーンだった。
舞台からの景色を、まったく覚えていない。

1992年。僕は無心で踊っていた。

どっちのシカゴも、ジャズダンサーの血が騒ぐ。



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