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アントニオ・アロンソ

六本木の路地裏にひっそりと、
スペイン舞踊学校がある。

僕がまだ駆け出しのダンサーだった頃、
カルロス・サウラ監督の3部作映画で、
アントニオ・ガデスに出会って以来、
いつかフラメンコを踊ろうと思っていた。

正確に言えば、クラシコ・エスパニョールだ。

コンテンポラリー・ダンスのチームは、
増える出演依頼が活動の中心になり、
仕事が忙しい僕には別の場所が必要だった。

フラメンコ教室は星の数ほどあったが、
社交的な教室が多く、男性の先生はもちろん、
若い男性の生徒はなかなか見当たらなかった。

2002年頃だっただろうか、
それが、一つだけ見つかった。

少なくとも男性先生のプロフィールは理想的。
なんとスペイン国立バレエ団の元プリンシパルだ。

見学に行くと、雑居ビルの1階で、
男性の更衣室もない。

ニューヨークの人気のない雑居ビルで、
アルヴィン・エイリーのオープン・スタジオに、
単身飛び込んだことを思えば、なんてことはない。

男性クラスもある。
ちょうど発表会の準備中で、男性生徒も大勢いた。しかも上級者用には、
クラシコ・エスパニョールのクラスもあった。

アントニオはカタコト日本語だったが、
始めるならここしかない、今しかないと思った。

フラメンコが基本は即興であり、
最低でも歌とギターと踊りの3人が必要だとか、
変則の12拍子が当たり前だとか、
とにかく体で覚えることが多かった。

ダンス歴の長い僕でさえ、最初は戸惑った。
むしろ長いことが邪魔していた。

アントニオは、基礎を大切にしてくれた。
貴重な男性のクラシコ好きダンサーで、
僕は早く上達することができた。

ここに週2〜3回、通うことになる。
念願のファルーカも、ボレロも踊らせてもらった。

今でもタブラオで、一緒に踊った仲間たちと、
偶然再会することもある。

この出遭いが、note100本目、100日目の記事だ。

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