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レニー・クラヴィッツ

80年代の洋楽が物凄い勢いだったのに比べ、
90年代は少し落ち着いていただろうか。

象徴的なのが、アンプラグド。
MTVのスタジオ・ライブ企画だ。

92年、エリック・クラプトンが発表した、
ライブ・アルバム「アンプラグド」。

ライブ・アルバムがグラミー賞の、
アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞する。

エレキはもちろん、ダンス・ミュージックや、
シンセサイザーに、疲れていたのかもしれない。

そこに現れたのが、レニー・クラヴィッツだった。

彼はニューヨーク生まれ、ロス育ち。
ビバリーヒルズ高校を中退する。
ヴァージン・レコードが目をつけた。

ちょっと尾崎豊に似たプロフィールだった。
いや、才能はもっと上だったか、
それを引き出したヴァージン・レコードの手腕か。

ほぼすべての楽器を、自分で演奏した。

だからだろうか、いろんな音が重なると言うより、
むしろ削られて、必要な音だけが研ぎ澄まされている。

いろんな録音技術をトライする、
それも自分の可能性を広げるために。

売れるようにと人に言われたからではなく、
自分のやりたい音楽を追求するために。

彼の曲どれも、どこか懐かしく、温かい。
91年セカンド・アルバム「ママ・セッド」全米39位、
93年サード・アルバム「自由への疾走」全米12位。

「自由への疾走」は全英1位、日本6位、
そして95年「サーカス」は日本1位、全英5位、全米10位。

全米チャートに世界中が一喜一憂していた80年代に比べ、
90年代は来日も多く、特にレニー・クラヴィッツは、
アルバムを出すたびにワールド・ツアーをして、
必ず日本にも来てくれた。

ライブはやっぱり最高だ。
特に彼の音楽はライブがいい。

というか、元々ライブに近い、音作りだった。

98年5枚目のアルバム「5」は、もう順位とかどうでもいい。2000年にベスト・アルバム「グレイテスト・ヒッツ」。

「自由への疾走」。
誰がつけたのか、タイトルも彼にピッタリだ。

90年代彼は世界を、時代を駆け抜けた。


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