the carnival

産声というのをうまれてはじめて聞いた。
夏の峠の頃だった。

私がばあちゃんに拾われてここへ来た時には、スミレさんのお腹はまだ目立ってなかった。厚着していたせいもある。冬と春の境目が長引いていた。大人どうしの話し声や、両手でお腹をいたわる仕草でなんとなくそうと気付いた。陽射しがたっぷりと地表を温めるようになった頃、スミレさんのお腹がすいかの半分を抱えたようになって、改めてばあちゃんが私にそのことについて教えてくれた。
「このまま順調にいけば、長雨を越えた頃じゃろか」
動かせる医療設備などなく、ともに暮らす人々の個人的な経験をよせあつめるしかなかった。錆のない刃物やなるたけ清潔な布など、日々の暮らしの中で少しずつ必要になりそうなものを集めた。

スミレさんが破水した。女性の大人が数人で支えあって、用意していた部屋に運びこむ。
まだ十四だった私は、何の役にも立たないので屋外にいた。伝播してくる緊張感が少し怖くて、離れたところから産場となった小さなアパートを見ていた。周辺一帯は透明の大きな手で均されたような風景。見渡す空の割合がうんと広く、遠くまで静かだった。
今度は急に心細くなって、私はアパートに向かって駆け出した。驚いた誰かが制しかけて、やめた。
風を通すために扉が開け放たれている。スミレさんの絶叫が聞こえた。強烈な迫力に足がすくみ、目の前がぐらぐらして座り込む。絶叫の合間に口々に彼女を励ます声がする。めまいが強くなる、けど耳をふさぐことができなかった。地面に手をついて、目を開けてじっとしていた。
まばたきを一度するくらいの間、重なり合う声たちが音量をしぼったようにすっと消えた。一拍おいて、生命の最初の咆哮が、私の眉間から後頭部までを貫いた。

それから数日、母子共に体調がよさそうだった。ばあちゃんと、カエデさんという女性が特に世話に慣れていた。ばあちゃんにもエリカというすてきな名前があるけど、老年の女性はひとりだけなので皆「ばあちゃん」と呼ぶ。ある日私は、ばあちゃんと一緒に薪を拾いに行った。
深い藪の近くを探索していると、ばあちゃんが無言で止まれの合図をした。私はぎくりと立ち止まる。遮られた視界の奥に気配がある。そっとのぞいて、ばあちゃんが呟いた。
「なんじゃあ、うちのもんかい」
見知った若い男性が二人、地べたに座りこんで一本の煙草を分け合っていた。
「また食い扶持増えんな、わしらだって育ち盛りなのによぉ」
「産まれちまったもんはしょうがなか」
「しかしこんなとこに産まれちゃガキも気の毒じゃて、のぉ?」
ばあちゃんは急に飛び出してって、持っていた枝で若者たちをばしばし叩いた。
「気の毒なことがあるかぼけ! おめらだってはじめはあんなもんだけ、ここでこげん立派に育っとろうが!」
「うおっばあちゃん! やめろ痛え!」
「もうわかったて、あっちいけよぉ」
私はなぜか、涙がつぎつぎとあふれた。恥ずかしくて少し先の茂みに隠れた。声をおさえて涙が引くのを待ちながら、足元に小さな白い花を見つけた。
「サユリちゃん、どこにおる」
気付いて、声の元に戻る。ばあちゃんは私を見つけると、目尻を下げて頭や肩をさすってくれた。
「あぁ良がった。なんもねか?」
「お……おしっこしたくなって」
赤い目をして私はうそをついた。

カエデさんが教えてくれた。産まれた子が七日無事であれば誕生を祝うならわし。
この世界じゃ大人でも子供でも、あとどれだけ生きられるかなんかわからんでしょ。だから今いる全員でかならず祝おうって決めたんよ。
「生まれてきておめでとうって。この子ん時もよ、六年振りじゃね」
そう言って、おしりにまとわりついて人見知りしている娘の頭を撫でた。

日暮に合わせて薪を組み上げ火を放つ。具合の良いことに今日は新月で、祝福の炎はなにより明るかった。輪になって、各々水の入った器を掲げる。すきとおる金色の飴が配られた。カエデさんの娘がやってきて、スミレさんと赤ん坊に手作りの花冠をそっとかぶせた。紅い花と小さな白い花。つやつやの瞳で、何も言わず走り去った。
「のぞみちゃん、ありがとうね!」
拍手が沸き起こり、のぞみちゃんはカエデさんの脚にきゅっとしがみついた。それぞれの語らう声をあいまいに聞きながら、私の頬は熱く乾く。さっき配られた飴の包みを開いてみる。表面が溶けて貼りついていた。剥がすように口に入れると歯にぶつかってからころ鳴った。ざわざわ寄せる、波のような笑い声。
昼に森で出くわした若者が相撲をとりはじめた。歳の近い二人は普段から特に仲が良さそうで、あんな風に言ってた割には互いを転がし合ってはひたすら笑い転げている。ばあちゃんがまぶしそうに目を細めて二人を眺めながら煙草をふかしていた。
お産で体液を拭った布は再利用せず、よく干して一緒に焚き上げるのもならわしのひとつだった。ひときわ勢いを増した炎が人々の表情を温かく照らす。みんな笑っている。私は息を止めて立ち上がった。
「あ、あ、あの」
スミレさんが優しく目で問う。
「赤ちゃんを、その、抱っこしてみてもいいですか」
「もちろん」
スミレさんは顔いっぱいに笑って、赤ん坊を渡してくれた。ここを支えて、片手はこう。見た目より重い。こんなに、こんなに小さいのに、余すことなく人間だった。彼に焚火を見せてみると、不規則なゆらめきを瞳に映し臆することなく手を伸ばす。

私はそこにあるのに見えない月を仰ぎ見た。頭で思い描けないほど大きな何かが、私たち人間に語りかけている気がする。生命とは恵みであり、大いなる宇宙にとっての捧げもの。祭りはこの火を燃やし尽くすまで続く。