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彷徨う混沌王と蘇る超力兵団

目覚めてまもない数秒の意識が好きだ。
そこには何もない。
私がない。他者がない。社会がない。
善悪がない。罪もないし、罰もない。
肉体の感覚や輪郭もおぼろげで、
誰でもないものの、意識の他には何もない。

森の中で魚と木の実を食べて、風の歌を聴き、雨を浴び、太陽や星を眺めて暮らすのは、この起き抜けの意識でずっと生きるような感じかもしれない。

人間は、ただ生きているだけで素晴らしい。
そう思いたいはずなのだけど、
不満はない。何に困っているわけでもない。
昨日の夜には希望のかけらを持っていた。
明日はあれをやりたい、これをしよう、
そう思いながら眠れる夜もあるのだけれど、
目覚めたときには一日のタスク、社会情勢、
生まれて今日までの自分に少しうんざりしている。
きっと睡眠の質があまり良くないか、
何らかの脳内物質が不足している。

現実とフィクションの間に、もうひとつ層があるような構造。
子供の頃は言葉でうまく説明できなかったけれど、そういう感覚になれるものにすごくワクワクした。
『メタ視点』とか『メタ展開』というのと近しいかもしれないが、それらの言葉は現実に軸足を置きすぎてる感じがしてあまりワクワクしない。それも含まれてはいるが、その一言では説明しきれない、と思う。
現実を現実たらしめる道理と、フィクションをフィクションたらしめる道理、どちらの干渉も届かない領域にあるのに、現実とフィクションの両方が存在するところにしか生み出せないもの、みたいな

こういう感覚なんかをいかに少ない文字数で言い当てられるか、日々考えては頭が痛くなって、力尽きる。ドンピシャの便利な言葉が既にどこかにあるのかもしれないが、悔しいからまだ知りたくない。
作品名と実例を出せないことをはがゆく思います。
なんで出せないかというと、タイトルなどで検索に引っかかりたくないから。
そういうのめんどくさいからです。

実体験も本やゲームの中で起きたことも暗喩も空想も全部混ぜて、同じフォントの文字にひたすら置き換えて、自分がやりたいのはそういうものなんじゃないかな、と思った。
みずきけいは私の見る夢で、私はみずきけいの見る夢ということだ。