『テンキアメクラゲ』②
ガンコな癖毛をなだめすかすのが私の日課だ。根気がいる。毎晩ただでさえ憂鬱なのに、あの笑い声が頭の中でランダム再生されて余計に気持ちが暗くなる。振り切るように集中していると、髪の毛がゲシュタルト崩壊を起こしはじめた。
「ちょっと深海! お風呂長すぎ」
母がいきなり正面の鏡に映りこみ、別のことをしようとしたけど間に合わなかった。
「まだ髪やってんのー? どこも変じゃないじゃない、誰もそんなに気にしちゃいないわよ(笑)」
言いながら棚にタオルを押し込んで、洗面所を出て行く。
こういうときは笑った方の勝ちだ。母が否定形の語尾によく使う、鼻を鳴らすような半笑いを聞くのが大嫌いだった。真に受けてムキになるほど滑稽で、追い打ちのようにまた笑われる。その土俵に上がりたくなければ返事を飲み込むしかない。二人暮らしが十年を超えても、慣れない。
母はさばけた性格で友人も多く、シングルマザーになったときも、周囲の支えに恵まれたと何度も聞かされた。「小さなことでも、人には感謝しなさい」と母はよく言った。父親とは三歳か四歳まで一緒だったはずだけど、あんまり印象がない。母の職場仲間も、私の学校の教師も、会えば口々に母を賞賛する。「いいおかあさんでよかったね」「大きくなったら恩返ししなきゃ」大人はみんな母の味方だった。
ドラッグストアで癖毛ケア商品なんかを見かけると「こーんなの効かないから」というのが母の口癖だった。私の髪質は母譲りだ。その言い方はなぜか勝ち誇ったように聞こえて、付箋に書いて貼りつけるように心に溜まっていった。「ばさり」とある日、付箋の束が床に落ちる音がした。そのときはじめて自分が傷ついていることに気がついた。
勉強机の一番下についた大きなひきだしが、海に沈んだ私の宝箱だ。教科書やプリントファイルをバリケードにして、トリートメントやヘアミルクのびんが息をひそめて待っている。
お気に入りの、咲きかけたチューリップみたいなボトルを取り出し、軽く振って重さを確かめる。すべすべした感触をお守りのように両手で包みこむ。
夜ふかしの時間は深く静かで、このままひとりで沈んでいられたらなと思う。このままひとりぼっちでも、さみしくなんかならなければいいのに。