baby
大層いい女だった。名前は真紀といった。派手さはないがさっぱりと品の良い身なりで、柔和な笑みをにじませた瞳の奥がどこか冷めている。だのに趣味はボランティア活動だとかいう。俺とは気が合わないかもしれないと、少々がっかりした。
その日限りでいい加減に生きる俺を心配した知人からの紹介だった。今時そんな価値観も流行らないとも思うが、これも何かの縁だ。ともかく厚意は受け取ってみることにした。
そして、一目逢ってまんまと惹かれた。柄にもなく俺は躍起になった。いい加減なりにうまいこと女に縋るのも得意な方だと自負していたが、きっと彼女にはそんな小手先は通用しない。月の光の色をした肌に鎌鼬の気配をまとっているのだ。
いっそ泥臭く見せた方がいいのかとか、そんな二重の打算もまたあっさり見透かされているようで、あの目に射抜かれると腹の奥が冷える。好きだと聞いた映画も正直よくわからんし、彼女は読書家で俺はあまり本を読まない。それでもなぜか、真紀は俺を受け入れてくれた。
真紀は手先が器用で、アクセサリー作りも趣味だった。ボランティアで出会った子供たちにあげたりするそうだ。一度見せてもらったことがある。それらはまるで真紀の命がひと雫ずつ結晶に変わって輝いてるかのように見えた。毎秒こぼれ落ちる命を大事に掬い上げて編んでは、次の世代を担う子らに分け与えているみたいだ。眩しくて、うっかり落としそうになった涙を誤魔化した。
ひと月あまり二人で過ごす日々が過ぎた頃、俺は仕事中に倒れた。検査で大きな病が見つかり、すぐ入院になった。そうなってやっと根拠もなく楽観的でいられた幸運に気づく。ただただ真白な寝具の中で、ひとり震えた。
真紀が見舞いに来て、俺は青ざめた顔を必死にこすって温めた。
「具合はどう」
「明日、手術だってさ」
「そう」
彼女は俺の手に自分の手を重ねた。ただ上に置いただけ、そういう感じの重さだった。真紀の手は少しかさついてほんのり温かく、俺は急に怖くなった。
「……俺は自分勝手でさ、いままで生きてきて『誰かのため』とかなんとか、一度だって考えた事なかったよ。女とひどい別れ方をしたり、困ってる奴を平気で見捨ててきた。それが真紀に出会った途端に病気になって、風邪もろくにひかなかったんだ、大事にしたいものをわざわざ与えてから取り上げるつもりなのかって。これは他人に優しくしてこなかった俺への、天罰なんじゃないか、」
彼女の顔が見られなかった。真紀の手は同じ重さでそこにあった。その手が、落ち葉が風にさらわれるように離れた。
………スパァン!
スリッパで、ひっぱたかれた。びっくりして声も出なかった。俺はあんぐり口を開けて真紀を見た。彼女はいつもの冷たく冴えた瞳を光らせていた。
「天罰なんてねえわ」
「ご、ごめ」
「神様がなんだっていうの? いつだって実際に何かと戦ってるのは生きてる人間じゃない!」もう一発、「人間なめんな」スパン!
「ごめんなさい…」
俺は痛みとばつの悪さで子どものように涙ぐんでいた。真紀は仕上げにスリッパを勢いよく床に叩きつけ、ほっそりとしたつまさきを差し入れる。鼻から強く息を吐き小さく首を振った。
「おだいじに」
俺のひたいをそっと撫でてそう言うと、鞄から何かを取り出し、ベッドサイドに置いて彼女は帰っていった。
しばらく経ってから手を伸ばすと、ベロア生地で出来た小さな巾着袋だった。中には彼女の作ったアクセサリーが入っていた。凛とした、小さな翡翠の珠がついていた。
手術は無事終わり、俺はあっけなく回復した。退院してすぐ真紀に会いに行った。一言「よかった」と、笑ってくれたので心底ほっとした。
彼女は自分の体のことを初めて俺に話してくれた。
「持病があるの。すぐに命に関わるのでもないけど、たぶん最後まで抱えて生きなきゃならない病気」
俺は病室での自分の言動が恥ずかしくて、いまにもその場から逃げ出したくなった。自分勝手だとか、自ら言うときには実は、本心じゃそれほど思っちゃいないものなんだ。
「だから私、その病のことを『baby』って呼んでるのよ」
俺にくれたのと同じアクセサリーを真紀も鞄につけていた。珠は色違いで、彼女のはまろやかな赤い珊瑚だった。
俺は彼女に言った。
「俺と結婚してほしい。真紀のすべてを愛してる」